オリンピック開催不可能な客観的な理由 その1

「オリンピック開催不可能な客観的な理由 その1」

整体や武術的な体の使い方等を仕事にしようと決めて、その後の歩みの中で多くの名人達人の方とご縁をいただきました。

そうすると、結果的に生まれ持っての才能も、努力をするという才能も私ごときにはとても太刀打ちできないというところにそれら名人達人の方はおられました。

そういうことに気づいたのは40歳を超えた頃です。今更自分には無理だとわかっても路線変更するには遅すぎます。この道で食べていきたい。

闇雲に努力して、その方法が名人達人に近づける道ではなかったということがわかっては、今さらやり直しがきく年齢ではなくなります。

そこで私が取った方法というのが、自然現象、自然法則、大自然の摂理、進化の道筋、そういった原理原則・規則・法則を見つけてそれに沿ってやればハズレは少ないぞという作戦でした。

人の運動のあるべき姿を模索するとき、人間の細かい筋肉の知識を得ることも必要でしょうが、そもそも人間が人間に至るまでの進化の道筋に沿って考える方が、ハズレが少ないという考え方などはその代表です。

この考え方を選んだということは、とても賢明な選択だったと還暦を目の前にした今とても強く感じます。

 

●オリンピックをその考えでとらえてみる

オリンピックを数か月後に控え、いろいろなテレビ番組の中でとても頑張っている選手の物語のようなものが頻繁に紹介されます。そういうものを見ているとオリンピックができればいいなと思いますが、多くの人が仕事もままならない中で、世界規模の運動会をやるほどの意義があるのかななどと考えてもしまいます。

そこで、総理大臣が好きだとか嫌いだとかみたいな感情論を抜きにして、オリンピックを開催するとかしないかということに関して、一段と大きい視点に立ってみたら景色がどんなふうに変わるのかということを試みてみました。

個別の筋肉だけを見ず、進化の過程に沿ってそのありようを考えるという手法に習ったわけです。

ひとつ前の総理大臣が「人類がコロナに打ち勝った証としてオリンピックを開催するのだ」ということを口にされていました。確かにそれが現実になるのであれば、世界規模の運動会をやるというのも確かに意義のあることかもしれません。

つまり「人類がコロナに打ち勝っていれば開催」「人類がコロナに押し込まれていれば中止または延期」シンプルに考えればそういうことになります。

日本国内の感染者の数は、県別で詳しく報道されます。また諸外国のこの国が大変だ、この国はワクチンがたくさん打てているなどとこれまた国別の報道なら折に触れ紹介されるようです。

シンプルに世界全体で、新型コロナの感染の波がどんなふうに動いているのかということを調べてみました。そうするともうすでに結論ははっきりと出ているようです。(つづく)

 

コロナを災害指定して対策を打つべきだと考えている
生活整体研究家
進化体操と和の知育

津田啓史 拝