余分に腹が立つときは自分を疑う

緊急事態宣言の発出を受け、また大阪府の医療体制のひっ迫具合を鑑みて休業中です。緊急事態宣言の当初の終了予定の5月の11日(火曜日)まで一週間を切った現状ですが、大阪の重症者病床の使用率は100%を超えています。

また、重症者以外でも自宅療養と言いながらほぼ放置され保健所からの連絡さえもない人がいると言われる現状では、休業を延長せざるを得ないのではないかと考えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『余分に腹が立つときは自分を疑う』

PCR検査を効果的に運用して、検査と隔離療養を充実させろよという公に対する私の不満は、正しくないことは言ってないとは思います。ただ、自分で自覚があるのは「過剰に腹が立つ」という部分ですね。

その「余分に腹が立つ」という場合は、もちろん対象は清廉潔白で何の落ち度もないということではないのですが、それはそれ。何か余分に腹が立つというその「余分な部分」というのは慣れてくるとわかります。

そうすると、その余分というのは、実は自分に対するもどかしさや腹立たしさが化けているということが非常に多いのです(当社比)。

ということは、私が政府関係者に怒っていることは、その構造において、自分ができていないことを無意識に分析している可能性が極めて高いわけです。

「菅さん、しっかりせい、まともにやれよ」というのは、実は「津田さん、しっかりせい、まともにやれよ」だった可能性が高い。

昨日も書きましたが、再度政府行政関係者ならびに関係機関に対して腹の立つことを、自分向きに書き直すと以下のように整理できます。

〇いくら考えたって、圧倒的に知識が足りないんだからさっさと詳しい人に聞いて勉強する。複数の方からも聞いたり調べたりして複数の角度から考えてみましょう。

〇そうやって長所と短所を理解して、やろうとしていることの長所と自分自身の特性や強みを生かすように仕組みを考え、できるところからさっさと実行しましょう。

かいつまんで言えば、こういうことでした。はい。自分で読んでしごく納得しました。おっしゃる通りです。異論はございません。

ということで今回自分が実際にたどった経緯を、時間を追って順に整理してみると下記のようになります。

1.できれば、文章にするレベルで腹が立つ対象に対して腹の立つことを徹底的に緻密に吐き出す。

2.その腹が立つ対象への批判を、最後は応援するという文章を付け加えて、ベクトルの向きを変える。

3.自分が先延ばししていて、実は自分自身のストレスになっているものに、その他者への批判を当てはめてみる。たいてい納得する。

4.他者に対して「こうやればできるだろ、さっさとやれ」と書いた内容を、自分でさっさとやる。

これって、自分でカウンセリングやコンサルティングをやったみたいな感じかなという気がしますね。

さて読者の皆さん全員に当てはまることかどうかは分かりませんが、私は少なくとも上に書いた手順で停滞していたことを進めていこうと思っております。

誰かに対してやたらに腹が立つ、ということも、使いようによっては自分を知り、改善するのに使えるかもしれない、という実例でした。

もしもお役に立てれば幸いです。

 

生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史 拝