東日本大震災でのボランティア活動記録 はじめに

緊急事態宣言の発出を受け、5月11日までは休業を決定し、現状ではさらに延長もやむをえないと考えています。理由は、大阪府の医療体制のひっ迫具合です。

今日は、3月末に引き続き、10年前の東日本大震災でのボランティア活動記録を転載します。ちょうどGWが、3月4月と活動を続けて一区切りつけて終了という時期でした。

今日から三日間転載します。出版して世の中の多くの人に知っていただこうと新書版一冊分を一ヶ月で書いて、結局出版はできなかった記録です。長いですが、お読みいただければ幸いです。

文章は、2011年5月GW明けから6月にかけて書かれたものです。

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『東日本大震災でのボランティア活動記録 はじめに』

最初にお断りすると、私が誰よりも石巻のボランティア活動に精通しているというわけではありません。

最も中心になって活動しているボランティアの方々は、今日も朝7時のミーティングに始まって、現場に移動、夕方までさまざまな活動、帰って全体会議、分科会でさらに細かい打ち合わせ、ブログで今日の活動報告、深夜就寝という毎日を過ごされています。忙しくてとても一冊の本を書く時間などは取れません。

過去の災害のささやかなボランティア活動の際に面識のできた方々のご縁で、同じ宿舎に寝泊まりし、震災後二ヶ月間の間に、二回・延べ一ヶ月強の活動を行いました。

私が見たのは、現地で立ち上げた「整体・マッサージ&理容美容チーム」の一員として訪問した被災各地の様々な避難所と、そこでお会いした方々。拠点になった石巻ボランティアセンターの方々、宿舎になった専修大学近くの「南境生活支援センター」に全国各地から集まった様々な技能・職能ボランティアの強者たち。

今回の災害で一般に報道される「ボランティア」というと、「ボランティアセンターで朝受付して、依頼のあったお宅に伺って泥出し作業に参加する方々」というイメージだと思います。そういう方々を仮に「一般ボランティア」とか「作業ボランティア」と呼ぶことにします。

現地入りしてみると、大多数を占める「一般ボランティア」「作業ボランティア」とは別の、じっくりと腰を据えて活動している様々な「技能・職能集団」の面々と出会いました。すさまじくしたたかで、強烈で、個性的で、純粋で、魅力的な人たちでした。そして、ものすごく被災地・被災者救援に、復興に貢献されていました。

そういったあまり知られていない技能・職能ボランティアの強烈な面々の活動を間近に見聞きし、知ってほしい思いを持ちました。

今日これを書いているのは5月11日。震災後二ヶ月経過した日です。その間に二回に渡って通算一ヶ月の現地活動と一ヶ月の後方支援活動をしただけの私です。

けれども、実際に被災地で活動したことで、メディアで報道されるイメージとはずいぶん違う角度の現場を知ることはできました。

それだけの体験ではありますが、被災地支援やボランティア活動について、いくつか提言しておきたいことも出てきました。

実は書くにあたって抵抗もけっこうあるのです。なんといってもまだ二ヶ月です。仮設住宅がようやくぽつぽつと建ち始めただけの時期です。いまだ行方不明者・遺体捜索も続いています。避難所もそのままです。被災された方々は、まだまだ不便不自由な状況のまっただ中です。どこの被災地も、まだドロ出しやがれき撤去も道半ばか手を着けたところというような状況だったりです。

被災の方にお伺いした、悲惨な話はほとんど書いていません。話の中心はあくまでも、あの手この手で救援活動をするボランティアの活動です。だから全体のトーンはけっこう明るかったりします。それもありのままの状況です。だからもし被災された方が読まれて、よそ者が何をのんきなことを書いてるんだと思われる可能性もなきにしもあらずです。それは避けたいと思うのですが…。

でも、もう少し時間がたってから、少しずつでも復興が進んで生活再建が進んで余裕が生まれた時には、被災地の方々にも、もしかしたらどんな連中が、どんな思いで、どんな活動をしてくれていたのかということに少しぐらいは興味を持たれるかもしれない、ということでご勘弁願います。

そして、震災後二ヶ月でまだこんな状況だということは、復興までまだまだ長い時間がかかるということでもあります。まだまだボランティアも、支援も必要です。この本に書かれていることが、日本中にいる志ある方の目に触れ、何かに火をつけ、復興支援のなにがしかのプラスになるかもしれないという可能性にも賭けて、やはり書いてしまうことにします。

さらにくどくどと言い訳が続きます。ある種の記録本でありますから、人の名前はちゃんとフルネームで肩書きも正確で、できれば年齢も添えられているとか、所属団体名やその団体の性格もちゃんと押さえてあるとか、さらに言えば地名も道路名も距離や方角や人数や広さなどもおおむね正しい数字を上げる必要がありそうだと思われます。

しかし、現地のボランティアはとっても忙しいので、本を書くために長時間電話インタビューするようなことはできません。

ゆえに登場人物の名前、肩書きなどはうろ覚え、年齢は推定、複数の人間の情報を混同するなどもありえます。日付の勘違いもありそうです。筆者が名前を覚えている人は登場する確率が高くなり、覚えていない人はどんなに活躍されていても、あたかもいなかったかのごとく登場されない、ということもありえます。

だから、この本はうろ覚えの記憶と、自分でもところどころ読めない殴り書きのメモと、いつ受け取ったか覚えていない顔も思い出せない名刺と、携帯電話で娘に送ってアップしてもらったブログと、再度現地入りした際にたまたままだいた人への必要最小限の質問を元に構成されています。ゆえに資料的な価値はありません。ただ、その場の空気はできる限り正確に再現したつもりです。ボランティアの仲間たちが読んだときに、確かにこんな感じだったと感じてもらえるものでなければ、嘘を書いたことになるという思いはずっとありました。

裏付け取材不足の、超高速で目の前を通り過ぎた景色を、思い出し出し書き記したものです。ここに書かれている誤解・曲解・事実誤認はすべて筆者の責によるものです。

一緒の時期に東北にいたのに、まったく登場しなかった人ごめんなさい。推定で書かれてしまった人、ごめんなさい。そして、今も現地で活動しているみなさんのできるかぎり足を引っ張らない内容を書きます。許してください。

願わくば、この本ができるだけ早く世に出ることができて、より多くの、より多角的な被災地復興のお役に立てることができれば、著者としてこれに勝る喜びはありません。(つづく)

 

生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史 拝