へたれん的感性でお金や経済を見てみる

【へたれん的感性でお金や経済を見てみる】

「へたれん」は見る目を養い、正解だと思っていることを繰り返すよりも、短い時間で結果的に正しいものに近づく可能性に満ちているというお話の続きです。

復習しますね。

未熟者には正解は分からない。でも不正解ならかろうじて分かる。だから意識的に不正解、間違い、未熟な方法をやる。そこを意識的にやると、身体が無意識に不正確から離れようとする。結果としてより正しい方向、精度の高いパフォーマンスに近づく。

メカニズムとしては、上記のようなコースをたどっているのだろうと体験を通して仮説を立てています。

へたれんは、まったく一般的には知られていない方法ですが、これはものすごく可能性を秘めているので、ずーっと研究している方法です。

たとえば医療です。どうやれば健康になるのかという問いを立てると、その分野の専門家に教わらなければいけないような気になります。専門家に指導を受けるとか、医者の書いたものを読むとかです。

ところが「どうやれば病気になれるのか」ということなら薄々分かります。それも自分のライフスタイルに合わせて「おれが普段やっている、これとこれを強調していけばきっと糖尿病になれる、高血圧になれる」という具合にリアルに分かる。

およその見当がついたら、それをひっくり返せば自分向きの健康マニュアルになるわけです。

今の世の中は、専門家に習わないと正しい答え、価値のある情報は得られないと錯覚させることで、お金を儲けている人がたくさんいます。

私は不幸なことに、どうやれば専門家に習わないでも頼らないでも正しい答えに近づくかを研究しているため、なかなかお金儲けができません。(苦笑)

で、一週間ぶりにお金の話に戻ると、お金の価値が何によって生じているのかという問いの立て方だと分かりません。何か経済学でも勉強しないと分からない問題のように感じてしまいます。

ところが、「どうやればお金の値打ちを無くすことができるか」ということなら難しい経済理論を学ばなくても分かるのです。

簡単です。お金に価値が宿っている状態というのは、買おうと思ったらなんでも買える状態のことです。買えるものがあるから成り立つ世界だったのです。

ということは、お金の価値がない状態というのは、買えるものを無くせばいい。交換可能なものを無くせばいいのです。今の世の中というのは、50年前100年前、さらには江戸時代とどの時代と比較しても、お金で購入できるものの種類、質と量が半端なく向上しています。

昨年の春ごろ。マスクが手に入りませんでした。するとどうなったかというと値段がどんどん上がりました。つまりマスクに対してお金の価値がどんどんなくなっていったということです。

そして世の中にマスクがなくなったら、どんなにお金を積んでもマスクが買えません。これはお金の価値がゼロになったことを表します。マスクに対してお札はただの紙切れになったわけですから。

生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史 拝