上達できない人がやってしまいがちなこと
【上達できない人がやってしまいがちなこと】
だいたい人は「正しくて効果的な方法を繰り返せばいい」と考えがちです。それは「正しく効果的にできる人」にとっては正しいのですが「未熟で下手な駆け出しの身」にとってみれば、それは正しくない。
それが正しく効果的だと言えるものは、正しく効果的にできるようになって後で「これが正しいんだ」と後追いで分かるもので、未熟者にとっては分かるわけがない。
正しいと思い込んでいるものを繰り返せばいつかは実る的な考えは、素質才能に恵まれている人には適するかもしれませんが、私はそうでないので、正しくない道にいかに迷い込まないかということを押さえておく必要性を痛感します。このあたりは世間はみんな間違えているように私には見えます。
特に整体や力を使わない武術の世界では、正しく効果的なやりかた(レベルのもの)というのは、正しく効果的にやれるようになって初めて分かるもので、それができないレベルの時に想定した「正解だろう」というものは、ほぼ100%違う、というのが事実です。
外見だけ似せてもどうにもなりません。整体や武術などで、本当に使えるレベルにあるものは、外見だけ真似しても「作用」がそこにありませんから、残念ながら別物であり偽物です。
作用を持たない自分の延長線上には、作用を持った技はありません。作用が出て来ないような邪魔なものをどけていったら、いきなり作用が出てくるのが和の体育、進化体操、とろける整体、マイクロストレッチなどの世界です。
過去の経験からいうと、中途半端に知識を集めたり体験したりしている人ほど始末に悪いのです。過去の知識をもとに組み立てようとして、何かをやろうとしてしまうのです。それが邪魔になって伝えたいものが伝わらない。
自分だけ下手なら勝手にどうぞという話ですが、整体の組稽古をすると相手の方が不幸です。気持ち悪い独りよがりの手を当てられるのは迷惑です。(下手である自覚のある方は、迷惑になりません。うまくできていると思い込んでいる人の手が気持ち悪いのです。)
なので10年前から講座の主眼というものは、そういう頭でっかちで迷惑な人を、知らず知らずのうちにちゃんとその人の中にも入っているナチュラルなものに誘導してしまえるかということでした。
だから、6~7年前ぐらいは、ほぼすべての講座で頭でっかち自己流不自然な人にずっとイライラしていました。(笑)
徹底的に自己流が入り込まないためのプログラムを作り続けました。結果として、私が何年もかかって行き着いたレベルに数回とか一回だけの受講で行き着く人ばかりになりました。
あまりに自然にできるものですから、もともとどれだけ習得にかかるものなのかを知らない方々はたいして感動しません。そんなもんだと思ってしまいます。
なので、講座の中で「今みなさんがしれっと体現できたことは、他の方法だと年単位かかってもできるとは限らないものなのですから、とりあえずその方法を作った津田に感謝してください」と念を押しております。
そんな方法の中でもかなり広範囲に使える極上の方法であり、にもかかわらず、さらに研究開発発展の余地があるというのが「下手練」なのです。
生活整体研究家
進化体操と和の体育
津田啓史 拝