明けましておめでたいのはなぜなのか 2

「明けましておめでたいのはなぜなのか 2」

何故、みなお正月に「明けましておめでとうございます」と声を掛け合うか問題の続きです。
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明けましておめでたいのはなぜなのか 1

毎年歳神さまが来られるということは、昨年の歳神様の五穀豊穣への働きかけは1年でリセットされるというイメージですね。つまり元旦にはバッテリーが満充電、100%残量ありフルパワーの神様を迎えるというイメージなのではないでしょうか?

昨年が凶作で、満身創痍で息も絶え絶えの神様をお迎えするというのでは、まったくおめでたくない。やはりリセットされて、満充電のハイパワーの神様をお迎えしてこそお願いもできようというものです。

前回に書いたように、歳神さまが我が家に来ていただけたかどうかというのは重大問題です。しかしながら「ピコーン」と降臨を合図するものはありません。これはよく考えれば幸いです。合図がもしあれば、合図のない年は神のご加護がないという年のスタートになってしまいます。

だから、庶民としては何が何でも歳神さまに満充電状態で来ていただいたという事実を作りたくなります。そこに使われるのが「おめでとうございます」の声がけだったと考えるとどうでしょうか。

「明けまして」と言います。時間は年によって止まりませんから、明けるだけなら何の苦労もありません。明けたことの何がおめでたいかという根拠がありません。しかし、年が改まると神様がバッテリーをぎんぎんにフル充電して我が家に来ていただけるということになっていれば、「明ける」ということにものすごく価値が生まれます。

そしてお互いに「(あなたのところにも歳神様に来ていただけたのですね)おめでとうございます」と声を掛け合うことで、神様が来られたという事実をお互いに作り合うことができます。

そういう解釈をするならば、会う人会う人に、「おめでとうございます」と声がけすることは、その人の背後にフル充電の神様のご加護がありますねー、すごいですねー、という祝福をすることになります。呪いの逆ですね。そう考えると、この「明けましておめでとうございます(リセットしてフル充電の歳神さまがお迎えできておめでとうございます)」というのは、めちゃくちゃ素晴らしい風習だと思います。

今年は会う人会う人に、その人の背後にある「神のご加護、幸せの可能性」みたいなものに包まれていることをおめでとうございますと言いたいと思います。以上はすべて津田の考察ですので、間違っていたらごめんなさい。ま、間違っててもそう解釈しましょう。(笑)
(つづく)

 

マイクロストレッチと皮下チューニング
生活整体研究家

津田啓史 拝