未来の私にお伺いを立てることで
新大阪健康道場は、大阪府の緊急事態宣言を受けて休業中です。7日までの緊急事態が延長されなければ、感染状況と照らし合わせながらですが、再開の一つの目安としてとらえています。
みなさんも数字の推移を流れでご覧になったらいかがでしょうか。
東洋経済オンラインコロナ特設ページ⇩で見られます。
新型コロナウイルス 国内感染の状況
**************************************
「未来の私にお伺いを立てることで」
まだまだ道半ばではありますが、この道30年も過ぎて現役で日々過ごし、またオリジナルな切り口にもこだわって歩んでまいりますと、それなりにいいものもたくさん出来上がっています。
せっかく他にないいいものがたくさんできたのだから、多くの人の元に届いて効果を発揮すればいいなと思いつつ、コロナ禍もあって昨年の半分近くはろくに遠方、地方講習会もできない一年でした。その轍を繰り返す2021年にはしたくないと、新しい試みに挑戦していくわけですが、過去うまくいかなかったことが年が改まっただけでうまくいくはずもありません。
情報の受け取り方が変わり、発想が変わり、行動が変わって結果が変わるということを紡いでいくしかないのであります。
休業も一か月を超え、試行錯誤もそれなりに実を結び、何をしたのかよくわからないままに一日が終わるということは減り、それなりに集中した日々が続くようにはなってきたというのが現状です。
かかる事態を迎えて、せっかく日々がんばっているのだから、ちゃんと成果が上がるように質を上げたい上げたいと念願している中で、「ふっと浮かんできたことの方が、さんざん時間を費やして計画したことよりもよほどいいじゃん」という事実を前に試行錯誤した経緯をお話ししています。
和の体育の思想から照らしても、およそ一人で考えることというのははなはだ効率が悪い。だいたいこのブログだって日記ではないから読み手のみなさんを想定して書きます。それで、たいていの話は結論を決めて書き始めるわけではなく、書いているうちに自分のなかからもろもろのことが湧いてきて、自分で「そういうことだったんですか、ちっとも知らなかった」というようなことが出てくるというのがこのブログ執筆という行為です。
「読者のみなさん、ちょっと聞いてください、実はね」という読み手の存在があることで、自分の知らなかった自分の考えと出会うというのがこのブログの執筆活動の背景のありのままです。ようするに「独り言は展開していかないけれども、読み手聞き手がいるという相対関係を設定すると物事は進む」ということです。
だからといって、経営的な裏側のもろもろまでをブログに赤裸々に書くわけにもいきませんから自問自答することになります。ですが、単独で考えているというのは実に効率が悪い。そこでその自問自答に相対関係をもちこむとしたら「聞かれて答える」というのと「教えてもらう」という二つが考えられるわけです。
しかしながら、現状というのは過去の自分の発想と行動の結果でありますから、未来をたくましく拓いていくためにはできるかぎり過去の自分にない切り口の方がいい。ということで、「過去の私」というのはまぎれもなく存在するのであるから「未来の私」というものもあるだろうと想定してもそう無理はないんじゃない?と考えました。
なので、「今私がやろうとしていることを、とってもうまくやりこなした未来の私」というものを想定して、その私に「教えてください、お願いします」と念じたあとの数時間、ふっと思いつくアイデアは「未来のことごとくうまく切り抜け、切り拓き、目標を達成した私」からのメッセージとして受け取っているということにしているのであります。
そうすると何か、いつもならめんどくさくてスルーするような「ちょっとした片付け」「調べる」「連絡する」というような行為が、「もしかしたらこれは、事態の局面を決定的に転換するすごいことにつながることかもしれない」と思ったりして、面倒くさいことでもちゃっちゃかやれてしまう度合いが少なからず上がってきたわけです。
上野樹里が主演している「監察医朝顔」では、ご遺体の解剖に挑む上野樹里扮する監察医は、死因不明のご遺体に対してじっと手を当て「教えてください、お願いします」と声をかけてから解剖するのであります。それで結果として難事件が解決したりするのであります。
私の場合は、ご遺体ではなく未来の成功した私にお伺いを立てるのであります。
ということで、本日のお話しは「未来のそれをうまくやり遂げた私にお伺いを立てる」という枠組みに思考を置くと、そうしない時に比べて何かを思いつく度合いも、めんどくささを低下させて実行する度合いも高まる(ような気がする)、というお話しでした。でもまだこの試みには続きがあります。
(つづく)
誰かの言説をうのみにしないで、自分でも調べてみる、考えてみる。それが楽しめる心身を作ること。それも整体です。
生活整体研究家
津田啓史