うまくいったらお礼した方がいい、だとしたら その2

新大阪健康道場は、大阪府の緊急事態宣言を受けて休業中です。大阪での7日までの緊急事態が延長されず、今週の後半の感染状況が、下降傾向が続いていれば再開する可能性も出てきたかなと思っています。

大阪は新規陽性者数は下がっていますが、検査数はもっと多かった時期と同じ検査数で横ばいです。関東、特に東京と神奈川は新規陽性者数は下がっていますが、検査数も同じぐらいのカーブで下がっています。

本当に必要なくて下がっているのであればいいのですが、見かけの新規陽性者数を下がっているように見せるために検査数を減らしている?なんて裏を勘繰りたくなるような為政者への信頼がないのが悲しいですね。

みなさんも数字の推移を流れでご覧になったらいかがでしょうか。
東洋経済オンラインコロナ特設ページ⇩で見られます。
新型コロナウイルス 国内感染の状況

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「うまくいったらお礼した方がいい、だとしたら その2」

前回からの続きです。(下記文中の …続きを読む をclick!)

うまくいったらお礼した方がいい、だとしたら

最後には未来の私は死ぬわけです。肉体的には消滅します。星になったか、仏になったか。浄土へ行ったか、地獄へ落とされたか。という行き先はここでは関係ありません。

死ぬ直前の私というのは、すでに未来の私というのが存在しませんから、じゃあ一体だれからメッセージを受け取るんだよ、という問題です。

奇跡を起こすのは神ではありません。ありえない幸運を神に祈ってしまいますが、ありえない幸運があるということを認めると、理不尽な不幸も同時に認めなければつじつまが合いません。これは困ります。ですが、「和の体育と陰陽思想」で解析するなら、そういうことになってしまいます。

なので私自身は、ありえないことを起こす奇跡というものは採用しないで、当たり前のことをやれば、当たり前の結果に至る(それも絶対ではなく、「ほぼそうなる」ぐらいでいいし)という当たり前の秩序のようなものが成り立っていることそのものを、神の御働きとして採用したいと思っています。

ほぼ人並みの体力・能力が備わっていれば、一日5分歩けば5分分だけ丈夫になる、ということこそが神技であります。神のご加護であります。人によってそれが効果が100分の1から100倍まで分かれるということがないから、トレーニングしようかと思えるのです。

質のいい的確なトレーニングをすれば、それに見合った成果があり、不適当なトレーニングをすれば、相応に不調や故障になるということそのものが公平なのであります。

ありえない幸運=奇跡的な幸運を期待してしまうなら、ありえない不幸=奇跡的な不幸も受け入れなければなりません。かかる分析に基づいて、この(ほぼ)絶対的な公平、宇宙の法則、自然の摂理、ある種の秩序そのものが神様のご加護であるというのが私の中での結論であります。

ということで、死ぬ間際の自分はいったい誰から「こうやればいいよ」を受け取ったのか問題のおおむね結論です。

死ぬ間際まで、なんとなくうまくいったという未来の私がやったことは、結局「適切なことを適切にやったら、おおむね適切な結果がもたらされた。それを積み重ねていったら、けっこうな成果になった、極めて自然である」ということであろうと思うのです。

ということは、未来の最終的な私は、「大自然の法則、ルール、摂理」に沿って極めて積極的な自然体で人生を送った、言い換えれば「自然法則」という神からメッセージを受け取り、そういう行動をおおむねした、ということになります。

「ちょうどいいことを、ちょうどいい時に、ちょうどいい量だけ、ベストタイミングでやんなはれ」というメッセージこそ究極の答えであり、これここに至って結局は「大自然の法則に沿っていくしかおまへんな」という神からのメッセージ以外には受け取りようがないな、という結論に至ったのであります。

ということで、うまくいき始めた現在、その好調を維持するためには、しかるべくお礼を申し上げた方がいい。ただし未来の私にお礼を言うというのも、突き詰めてみるとピュアにお礼が言えない。その未来の私を追っていくサイクルの向こうには神(自然法則)のご加護というものが待っていたと。

よく考えれば、Wi-Fiも5Gもなかった時代から、神様と人間というのは「オンラインネットワーク」で結びついていたのであります。であれば、そういう歴史と伝統のある、昨日や今日設立された通信会社とはわけが違う神々こそ、お礼を言うのに機能的にも心情的にも的確ではないかということになったのであります。私から未来の私にお礼を言うのではなく、神様経由で未来の私にお礼が伝わる方がはくが付くというかなんというか。

ということで、私の願い、課題、進むべき進路は、より具体的に知っていそうなした未来の私に聞き、満願成就の暁には、成果が出た時には、結果が出たときには、神社、神棚、お札、お守りなど身の回りにある神様スペースならびに神様グッズにお礼を申し上げることにしようということになりました、というお話しでした。

 

誰かの言説、世の中の常識を頭から否定もせず、かといってうのみにもしないで、一度自分でも調べてみる、考えてみる。それが楽しめる心身を作ること。それも整体です。

生活整体研究家

津田啓史