脳より身体が先 お金よりも物が先

新大阪健康道場は、大阪府の緊急事態宣言を受けて休業中です。緊急事態宣言は、おおむね延長の方向ですが(2日朝これを書いています)新規陽性者数が急カーブで下がっているので、前倒しで解除ということもあるかもしれません。

ですが、東京や神奈川などは濃厚接触者の追跡をやめ、結果的に検査数を大幅減少させながらの数字です。大阪は週平均一日6000人をキープしているのでゆっくりな減少ですが、急激に下がっている東京はわずか8000、神奈川に至っては3000件で大阪の半分しかやっていません。

なので、無症状の感染者が水面下でじわじわ増えて、結果どこかの段階でまた増加にならないかと懸念しています。

みなさんも数字の推移を流れでご覧になったらいかがでしょうか。
東洋経済オンラインコロナ特設ページ⇩で見られます。
  新型コロナウイルス 国内感染の状況

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「脳より身体が先 お金よりも物が先」

国家財政を「和の体育や整体」で解析することを論じたいと思います。どうやれば「コロナ禍」という「災害」に見舞われている日本という国が元気になるのか、健康で溌剌としていくのかということを考えようということです。

かいつまんで言うと、国がお金を刷って医療現場を始め、あらゆるコロナ禍における自粛の影響を受けて、収入が激減しているところに補填補償すると、国が立ち行かなくなるのか、それとも元気に復活できるのかという問題です。

和の体育、進化体操、とろける整体などが、一般的なストレッチやトレーニングなどと違うのは、脳や意志と身体のかかわりの前提をひっくり返している部分です。人間は脳が発達したために自意識があります。自分の意志で自分の行動を制御しているという前提です。

あまりに高度に発達したために疑いにくいのですが、その出自や成り立ちを追いかけていくと、意志で自分を動かしているという前提ははなはだ怪しいのです。(実際に脳科学では、すでに否定されているのですがまったく主流にならないのですが)

何がいいたいかというと、大脳新皮質由来の人間の自意識が生まれたのと、それ以外の身体・生命体のメカニズムが生まれたのとどちらが先なのよ、という一点を観るだけでもその優先度というのは一目瞭然でしょうというお話です。

何億年の間、一度も途絶えることなく生命をつないできたシステムの上に乗っかって、現存するあらゆる生き物は成り立っています。実績と言えばこれ以上ゆるぎのない実績はありません。

ひるがえって脳の歴史を見て見れば、現存するホモサピエンスというものが誕生してから、なんとたかだか20万年しか経っていません。生命全体の歴史から言えば、発達した脳を取り付けてみた直立生物というのは、ほとんどまだ「試作品」のレベルとは言えないでしょうか。

なので体操を設計するときに、脳からの命令で動きを制御しようとするのではなく、身体にもともと備わっているものをできるだけ引き出すにはどうしたらいいかという設計を試みるわけです。(代表が進化体操であり、マイクロストレッチです)

そういう見方を経済に当てはめるとどうなるでしょうか?「お金がないと何にもできない」というのが現代の常識で、それそのものは現状そうなっているという意味では認めます。その上で「本来はどうだったか」に立ち返って景色を見直してみませんかというお話しです。

つまり、世の中というのはお金(貨幣)というものが先か、衣食住という暮らしを支える「もの」が先かという単純な問いです。いまさら問い直すまでもなく、お金より先に「生活していくのに必要なもの」があって、多くの人間が生きながらえることができるようになった、という事実の方が先です。

前にこの問題を論じた時に書いたことです。ものがあるからこそ、お金の値打ちが維持できるということです。買えるもの(サービスなど形のないものも含みます)があるから、お金というものは価値を保てています。買えるものや供給する力がなくなると、たちまちお金の価値は小さくなっていきます。

食べ物も飲み物もない世界を想定したら、お金があってもただの紙切れです。悲しいかな、暴力的に優位な方が支配するようなことになりそうですね。物が豊かで初めてお金に価値が宿ります。

だから、もの(生活をしていくために必要なもの、文化や芸能やスポーツや余暇活動なども含めて考えます)が先で、お金は後なのです。

身体と生命が先で、脳が後なのと同じです。それがなんか脳や意志が上で、身体や生命が下みたいな図式で構成されるから、トレーニングやら学習、能力開発法などのもろもろに私は違和感がぬぐえず、結果的に自分でコツコツと「こっちの方が自然じゃないかな」というものを作っていく人生になったのでした。(楽しいけど)

だから、「お金が先で暮らしが後」というような前提で「コロナ禍の補償をどうする」を考えると、根本的に間違った方向に進んでいってしまう可能性があるということです。(つづく)

 

誰かの言説、世の中の常識を頭から否定もせず、かといってうのみにもしないで、一度自分でも調べてみる、考えてみる。それが楽しめる心身を作ること。それも整体です。

生活整体研究家

津田啓史