うまくいったらお礼した方がいい、だとしたら
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みなさんも数字の推移を流れでご覧になったらいかがでしょうか。
東洋経済オンラインコロナ特設ページ⇩で見られます。
新型コロナウイルス 国内感染の状況
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「うまくいったらお礼した方がいい、だとしたら」
「未来のそれをうまくやり遂げた私にお伺いを立てる」という枠組みに自分をはめると、発想や行動がそうでない時よりもうまくいくような気がするぞ、というお話の続きです。
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ここでもまた「和の体育 陰陽の思考 相互関係の中で考える」ということが登場します。
つまり、お伺いを立てて答えを得て、その結果うまく行ったら、そのアドバイザーには報告したり、お礼したりということを付け加えることによって、その関係性とその関係性から引き出される成果というものは強固になり、継続性を高めるという当たり前の図式があります。
アドバイスを求められて答えたあと、なしのつぶての相手と「いやー、おかげさまでうまくいきました、ありがとうございました」と報告してくる相手ではその後の扱いは確実に変わります。
私としても今のところうまくいっていると思われるこの「未来の私に教えてもらう方式」というものの精度と安定性を高めていく必要性は痛感するのです。だから「きちんとお礼はしておいたほうがいいな」ということを感じ始めています。
ここでちょっと話の向きは変わります。
未来の私にアクセスして、検索ワード「どうやったらうまくいくか?」とお伺いを立てると「まずはこれをやってみ」というものがなんとなく表示されるというのは、実にネットの世界に似ているなと感じます。
インターネット勃興期には、電話回線でパソコンから電話のジャックに有線でつないでダイアルの音をジーコジーコ聞いて(アナログ回線)パソコン通信なるメールのやり取りだけでびっくりの世界から見れば、高画質動画をほいほい観られる今というのはなんて凄いレベルになったもんだ、なのです。
そして現状、いたるところにWi-Fiの電波が飛び、電話にいちいちつなぐ必要もなく、必要な情報が瞬時に得られるようになったこのWEBの世界というのはなんとすさまじい発展をみせたかと思います。
ちょっと話は唐突な方面へと発展します。
この無線ラン的なウェブの世界というのは、よく考えるなら神社と人間の関係としてすでにあったではないか、と思うのです。お賽銭という接続料金を払って、すずをじゃらじゃらと鳴らして接続して、柏手というパスワード?を入力して、検索ワードという「願い事」を神に告げる。
神社というのはその神様のWi-Fiが飛んでいるエリアだ、なんて解釈が生まれました。神様というのは、神代の時代からオンラインネットワークを駆使していた老舗中の老舗だったのです。
ということで話は戻ります。
未来の私にお伺いを立てるという方式で、発想力と実行力をアップさせることに成功しました。うまくいった以上は、その「お礼」を適切に組み込むことで、効果の維持や安定に役立ちそうな気がします。もらいっぱなしでは破綻しそうな気がします。
なので、適宜お礼を申し述べようということを思い立ちました。お礼を言う対象は誰かというと、未来の私です。そこではたと気づきました。ここに筆者の傲慢さが見え隠れしします。
うまくいく方法を教えてくれたのは未来の私ですが、その未来の私が「目標達成した未来の私」足りえるのは、今の私の行動があったからじゃないか、ということが浮かんでしまったのです。
さらにいえば、未来のうまくいった私というのは、いわばさらに未来のうまくいった私からのメッセージを受け取ったからうまくいったのだと考えると、お礼を言うのは、未来の私のさらに未来の私なのか。でもその未来の未来の私も今の私があったればこそなりえたわけで、、、、と無限のループに陥ったのであります(ごく短時間ですが)
という「うまくいったあと、だれにお礼を言えばいいのか問題」は結局は解決するのですが、それは次回で。(つづく)
誰かの言説をうのみにしないで、自分でも調べてみる、考えてみる。それが楽しめる心身を作ること。それも整体です。
生活整体研究家
津田啓史