制限力 2

「制限力 2」

猛烈に忙しいアルバイトを体験して、私は「俺は覚醒したぞ」と確信して家路につきました(農家の方が副業でやっている畑に囲まれたのどかな学生下宿です)

そして、日当たりの悪い四畳半の部屋でこたつに足を突っ込みながら(冬だったんですね)、この「覚醒した自分」が、「生まれ変わった自分」が、明日という日をどんなに充実した一日にするのだろうと心から楽しみにして、そのままこたつで寝ました。

そして一夜明けて、目が覚めたとき、そこにいたのはそれまでと変わらないぐうたらな学生の津田啓史でした。

山陰の寒い冬の午前中。そこにいたのは、ただこたつから出られないだけの私でした。こたつから出て、トーストを焼くだけのことがめんどくさくてめんどくさくて出来ません。昨日の「覚醒した私」は、どこにも残っておりませんでした。

休みの日の午前中です。今から12時間から16時間くらい自由に使えます。昨日の夜は、覚醒した私は、明日という一日をどんなに充実した一日に変えるんだろうかと、期待に満ち溢れ眠りについたのに、今、ここにいるのは、全く動こうとしない自分。それが不思議で不思議でたまりませんでした。

結局その日は、お腹がすいたらインスタントラーメンを炊いて食べる程度で、全く覚醒することなく終わったように思います。もちろん翌日以後もぐうたらです。

なんでこんな話を長々と書いているかというと、その20歳過ぎの私のその体験が、結果的にその後の私を40年間ずっと支配している、リードしている。意図したわけではありませんが、結果的に、この日の疑問を40年間ずっと研究してきた人生になっているということです。

合気道の創始者植芝盛平先生は、ある日、天から黄金の光が降り注いだという神秘体験をされそして覚醒されたということでした。

お名前は忘れましたが、ある武術の達人は一人で、自分の家の庭だったか、神社の境内だったかをぐるぐると転げ回っている。何をしていたのかと尋ねられると「天狗が出てきて色々と教えてくれたんだ」

達人というような方は、そういうような覚醒された体験がそのまま続いていくのですね。私のような凡人は、覚醒したと思った半日後には瞬く間にしぼんでいくという体験だったわけです。

でも達人や天才ばかりで埋め尽くされた世の中になると、きっと息苦しかったり、ついていけなかったりすると思うので凡人が溢れる世の中でいいんじゃないかと思うのです。

そうやって40年前に生まれた疑問が、何年たっても解決されないので、結果的に40年間を通して続けることになりました。

かといって全く成果が出てないわけではありません。うまくいかないからこそ様々な角度で、少しずつ少しずつ凡人がマシになっていく方法が見つかってきています。

40年前に「うまくいかなかった」という体験が、私の中に灰の中の炭火のように埋もれていて、いまだに消えることなく続いているのですから、これはもう私の「素質」「特性」として生かしていくことしか考えられません。

次回は、この「覚醒したと勘違いした私」と「ぐうたらな私」、この同じ人間でありながら全く別人と言える私。この差は何によって生まれたか、またどうしていけば、ましな私を持続させることができるのか、ということについての考察を述べたいと思います。

 

生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史 拝

 

――別の話題 献血の話――

これを書いていますのは17日の夕方です。大阪は過去3番目の陽性者数でまだまだピークアウトは先のようですし、私の年代がワクチン接種を受けられるのは当分先でしょう。89歳の義父が行きつけのクリニックに予約したら、約1000人待ちだったそうです。

コロナで献血も影響を受けているそうです。各地の献血ルーム以外に、繁華街やイベントや大学や企業などに「献血バス」を出して確保していたのが大幅減になり、大きな打撃が。

今、日本中でストレスを抱えながら頑張っている医療に携わる方に、血液不足のストレスを少しでも減らせればと、健康診断血液検査代わりにもなるし、近日中に行って来ようと思います。

和の体育

前の記事

制限力 1
和の体育

次の記事

制限力 3