制限力 3

「制限力 3」

この「覚醒したと勘違いした私」と「ぐうたらな私」。この同じ人間でありながら全く別人と言える私。この差は何によって生まれたか、またどうしていけば私を持続させることができるのか、ということについての考察を述べたいと思います。

「覚醒した(と勘違いした)私」と、「ぐうたらな私」の違いというのは何だったのでしょうか。

決定的な違いは「覚醒した(と勘違いした)私」は、ほぼ100%「自分以外の都合で動いていた」ということです。

対比すれば「ぐうたらな私」というのは、100%何をやるのも自分の自由だった、ということです。

料理ができれば持っていかなければならない、お客さんがお帰りになれば片付けなければならない、おしぼりが不足しそうになれば補充しなければならない、呼ばれれば飛んでいく、そこには一切自分の都合というのがありませんでした。

もちろんほとんど同時に2カ所のお客さんから呼ばれたら、どちらを優先するのかというようなことは考えて行動しなければなりません

とにかく、圧倒的に「様々な制限がある」という条件の下にあった方が、自分が覚醒したと勘違いされるくらい自分の中から行動力や、発想力がほとばしり出ていたということです。自分で出したのではなくて、対象者や関係者や環境に「引き出された」のです。

一夜明けて、四畳半下宿のコタツの中で丸まっている私は、誰からも何も強制されません。何の制限もかかっていないのです。そして何とも関係を持っていない。唯一持っているとすれば「山陰の冬に温かいこたつ」ぐらいです。

こたつは何も強制せず、あえていえばそこに安住することをアピールする電気製品です。そうなった途端に、自分の中から何も行動が出てこない、これがその24時間に起こったことです。

「何をするのも自由」という条件下になると無能になり、「自分の都合など考えている暇なんてない」という条件下になった方が、自分の中から様々な能力が溢れ出てきたということです。

だからといって、ブラック企業で働くほど能力が出てくると言いたいわけではありません。

自分が目指しているもの、実現したいこと、向かっていきたい方向、そちらに向かって、自分で上手に制限をかけ、望ましい行動が反射的に出てきてしまうような枠組みを作って、そこに自分をはめ込んでやる。

結果的にこの20年、独立して十数年、ひたすらその「自分の向かいたい方向に質の良い行動が出てくるような枠組みを上手に作る」ということを突き詰めてきたわけです。

進化体操の原型というのは、5つの腰椎に手を当ててもらうことで出てくる5種類の反射的運動というものがその根っこになっているので、和の体育のメイントレーニングになりえたわけです。そこには努力も根性も精神力も必要ありません。身体の中に埋まっている「反射」を引き出すだけです。

マイクロストレッチというのは、空気圧を極端に減らしたエア枕を骨盤の下に敷いて、自分がどう動くかではなく、空気枕のぐねぐねと変化していく形状の変化を、皮膚が反射的に追いかけてしまうということを根っこに置いています。

人に制限をかけられれば、時には反発してやりたくなくなります。だから自分で自分に制限をかけるということが重要で、そこに身体や脳の仕組みに沿った制限を割り出せるほど、思った方向に自分を誘導できて、思ってもみない成果につながっていきます。

先日始めた「自己実現のメールセミナー」は、そういった「うまくいった制限のかけ方」を網羅したものです。

ということで、延び延びになっていましたが、ある程度の撮影と第一段階の編集が終わった「マイクロストレッチ入門」の一般向け販売動画の仕上げの作業に入る予定です。

意思や精神力や根性に頼らない「反射による整体トレーニング」の入門編としては、最適だと思われます。

コロナで休業中だからこそ、する必要のあることが山のようにあり、なかなか「マイクロストレッチ入門」の制作作業に時間が取れませんでした。

今日からは、上手に様々な制限を作って、「マイクロストレッチ入門」の制作を知らず知らずにやってしまうように、自分自身に仕掛けていこうと思います。今月中には完成させます。

 

生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史 拝

和の体育

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