感染症の日本史 1
緊急事態宣言が発出されました。
4月25日から5月の11日までです。
新大阪健康道場での整体や講座、そのほか津田啓史の活動もその期間お休みになります。
申し訳ありませんが、ご理解ご容赦願います。
様々な業種に対して「休業依頼」がなされています。小規模なヨガスタジオや体操教室、エステやリラクゼーションなどにも「休業依頼(法にもとづけないので依頼)」が出ていますから、新大阪健康道場の整体も講座もどちらも対象になります。
少なくとも5月11日の火曜日までは休講です。
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『感染症の日本史 1』
緊急事態宣言3回目が出ました。コロナ禍の日本になって約一年。この一年で一体どれだけ国の対策が進んだのかというと、未だ心もとない情けない感じです。
文春新書の「感染症の日本史」(磯田道史著)から、今の日本と江戸時代の日本の感染症に対しての対策をちょっと比べてみたいと思います。
もちろん江戸時代ですからコロナではありません。この本の第3章では、「江戸のパンデミックを読み解く」というくくりで疱瘡、いまでいう天然痘の流行に対しての、江戸時代の各地での取り組みが紹介されています。これが面白いんです。
江戸時代ですから、何といっても徳川幕府のトップ「将軍様の健康」というものが大事にされていました。戦国時代からの戦いを制して成立した軍事政権ですから、その後平和な時代が続いても、その成立している仕組み自体は、将軍というその名の通り軍隊の組織です。
武士とか侍とひとくくりにされますが、それらも軍隊の将校だったり下士官だったり兵士だったりします。
成り立ちが軍隊ですから、トップになれるのは男子だけ。将軍をトップにした戦闘員である家臣団のしくみにのっかって配下の各家も安定していますから、将軍の健康というのは家臣団すべての安泰にとって必要不可欠です。
なので将軍様のお体を守るために、すでに「法定伝染病」の制度を設けていたというのですね。天然痘、麻疹、水痘。これら病気にかかった場合、幕臣は、江戸城への登城を35日間自粛することになっていました。
それだけ厳しくしていたのですが、徳川の歴代将軍15代のうち14人までが天然痘にかかっています。かからなかったのは7代将軍家継一人。というのはこの将軍家継は、わずか8歳で亡くなって大人になるまで生きていなかったからなんですね。
さらに磯田先生は、感染症における江戸時代の「隔離政策」の実例を様々挙げておられます。
現在の山口県にあった岩国藩。天然痘が流行すると、武士にも領民にも登城することや外出することを禁じます。さらに患者は自宅療養さえ禁じられ、城下から遠く離れたところに「隔離地域」を設けて一定の期間そこに隔離されます。
そして、最初は患者だけだったのが、その後、看病していた人、隣の家の人までもその隔離対象範囲は拡大していきます。
はい、江戸時代にすでに「接触者」「濃厚接触者」を隔離するということが制度として確立していたのです。もちろん、この岩国藩というのが特に徹底していたということではありますが。
ところが、この岩国藩の凄いところはは単に隔離しただけではありません。病人や看病する人、同居する家族の生活費などを、領主が負担したというのです。
著者の磯田先生は『今日のコロナ禍では「自粛」要請に対し、「給付(補償)」が十分になされるかどうかが議論になっていますが、江戸時代の岩国藩の方が手厚い補償だったとは言えるでしょう』
と書かれています。本当ですね。そして、並み居る藩の中で特に厳しい隔離生活を採用した岩国藩では、その藩主は歴代一人も天然痘に罹患しなかったという結果を残しました。和歌山とか島根とか鳥取とか、今でも地方の県で工夫して頑張っている知事さんみたいですね。
さて、岩国藩ではとても手厚い補償をしたわけですが、もちろん江戸時代の日本もそんな優れた福祉政策を実行した藩ばかりではありませんでした。逆もあります。その続きは明日。
生活整体研究家
進化体操と和の体育
津田啓史 拝