キーボードが打てない
【キーボードが打てない】
それが一体どういう意味を持つのかというのは、今の時点で分かりません。ただもしかしたら大きく何かが変わろうとしているチャンスなのかもしれない、とも思っています。
こうやって文章にして残しておくことで、もしもそれが変わりかけている「芽」だとしたら、自覚することがそれを育てることにつながらないかということもあって書いています。それが、今後読者のみなさんの生活改善の鍵になるかもしれません。
一体何が起こったかというと、
「パソコンのキーボードを強く打てなくなった」
ということなんです。どちらかというとブラインドタッチもできて、結構文章を速く書ける方でもあります。なので、かなり強いタッチでパソコンのキーボードをバチバチと音を立てて打つ方でありました。
それが4月7日の水曜日。とにかくキーを強く叩くというような音が突然不快になりました。そんなに強く叩いたら痛いというような感じです。
パソコンで文章を早く書こうとする時は、結構指に弾みをつけてバンバン動かしていきます。それができません。パソコンが打てなくなったということではありません。とにかく「強く打つ」ということができなくなりました。力任せにやれなくなった、という表現にすると近いかもしれません。
今のところは、その変化というのはパソコンを打つときしか明確ではありません。
その日の晩御飯の「お好み焼き」を作るのにキャベツを大量に刻んでいるときにも、気を付ければ少し同じような感覚はありましたが、ただあまりにゆっくりやっているとキャベツが刻み終わらないので、前までと同じ包丁の使い方が顔を出しているという感じです。
つまり、これはどうもパソコンのキーボードに顕著だけれども、実は生活全般に何か力任せにやるということと対照的にあるものに対しての感受性がすごく上がってきているのかもしれないのです。
ただしキャベツのことでわかるように、あまり得意でないことの場合は、その感覚が生じても今までのやり方がおさまってきて消えてしまうということも起こっているようです。
「和の体育」の考え方として、行動を変えたければ情報の取り方を変えなければならないというものがあります。
私たちの行動というものは、意思によって制御されているよりは、そのほとんどが身体が無意識に受け取った情報に対しても反射的に引き出されるものが大半です。
そういう実情を見れば、自分で自分を変えていきたいときに意志の力で変えようとしてもなかなか変わるものではありません。そこで情報の取り方を変えていくと、自然に行動が変わっていくという現象があります。
だから、この情報の取り方を望ましい行動がすらすらと出てくるように変えていくにはどうしたらいいかというのは、とても重要なテーマなのです。まだまだ研究半ばですが。
そして、水曜日に起こった事は明らかに情報の取り方が変わっています。そのことでこの後何がどう変わるのか分かりません。だからできるだけ生じたことが消えてしまわないようにしようと、ここにこういう文章として記しています。
だから皆さんも、自分も何か変えたいと思われているのであれば、情報の取り方が何か変わったというときが感じ取れたらすごく脱皮するチャンスかもしれません。
すくい取れるものはすくい取って、それを丁寧に追いかけていくことであなたの体が今変わろうとしている方向に沿っていくことができるのではないかと思います。
甚だ漠然とした本日の投稿になりました。なにがしか皆さんの参考になれば幸いです。また明らかにこういう面が変わったというようなことが明確になったら、またこのブログを使ってお知らせしたいと思います。
生活整体研究家
進化体操と和の知育
津田啓史 拝