㊴つもりはあくまでつもりでしかない

野口整体の基本中の基本に「愉氣(ゆき)法」というのがあります。愉快な氣を送るという意味で、実際には手のひらを当てて癒すというような行為です。

無心で手を当てるだけで、異常が浮き上がって消えていきます、治っていきます、そういう力が本来人間には備わっています。それをお互いに練習して、にこにこと笑って毎日がすごせるようになりましょう、というような切り口の家庭内整体、とでもいうものです。

条件の一つは無心で手を当てること。といっても野口先生は「無心」とは言わず、雲の上のカラっと晴れた空のような心、という意味合いで「天心で手を当てる」と表現されることが多かったです。邪気のない、澄み切った気持ちでの手当。治してやろうとか、俺が治すのだという力みや気張りさえじゃまになる、というそういう世界です。

もう少し詳しい愉氣法の解説には、圧力や重さをかけないで手当てをするということが強調されています。ぎゅうぎゅう手を当てるのはもっての外で、ぴたっと充てるだけでもない。そのコツは「紙一枚分の隙間をあけているような感じ」などと書かれています。

この「紙一枚」という指摘に対して、多くの方は読んだだけでスルーしてしまい実際の手当の時には忘れてしまってぎゅうぎゅう手を当ててしまいがちです。そこまではずれていない人でも、できるだけ軽く当てよう、少しばかり隙間が空いているか空いていないかの微妙な感触のあたりでやればおおむねよかろう、というスタンスで手当てをされていると思います。

「紙一枚離す」というのはあくまで「もののたとえ」であって、具体的な指示だとはなかなか思えないと思います。

ある整体の稽古の日ですが、この日河野先生は、実施に相手の手を置いてほしい部位の上に紙をほんとに載せて稽古することを提案されました。実際に患部に紙を敷き、その上に手のひらを置いたのちに、その紙をすっと引き抜くのです。すると残るのは、紙一枚分の隙間で相手に手当てをしている私の手です。