お金は国民の血液?氣?+皮下チューニング13

みなさんこんにちは。久々に新しい動画を追加できました。他の人の動画とかも参考にして、はっきり言ってメンタリストのDaiGoさんのパクリです。(笑)

『どうしても取れない肩こり 原因はこれかも 皮下チューニング13』

 

前回投稿文の続きです。

 

PCR検査数がようやく増え始めたところですから、感染の実態というものはアバウトな数字ですから安心はできません。でも、コロナ陽性者の数の推移の山は、峠を越えて下がってきているのは数字から見とれます。

 

油断はできない、安心もできない。でもヨーロッパやアメリカのような絶望的な展開ではないというところが少し安堵します。活動できない方に傾いていた針が、再開できる方に少しずつ傾いてきたような感じがしてきました。

 

毎度書いていますが、

医療崩壊しないためにどんどん予算をつけて対策を打ってください。
高齢者や基礎疾患を持っている人、妊産婦さんなどが安易に感染しないように、どんどん予算をつけて具体的な対策を打ってください。
福祉の現場が、たちいかなくならないようにどんどん予算をつけて対策を打ってください。

それが国に対する願いです。その上でのお話です。

※  ※  ※

 

先日、申請する権利のある給付金のたぐいは、申請して受け取ってくださいということを書きました。それで受け取ったら、しばらくは景気が悪いだろうから大事にとっておこうというふうに考えられる方もあるかもしれません。それをやってしまうとやばいですよ、使わないと結果的に損をします、というのが今日のお話です。

 

●休業要請支援金(府・市町村共同支援金)
http://www.pref.osaka.lg.jp/keieishien/kyugyoshienkin/index.html

 

●中小事業者・個人事業主 持続化給付金
https://www.jizokuka-kyufu.jp/

 

持続化給付金の方ですが、これってWEBができないと申請できないようになっています。パソコンを扱えない高齢者やそちらに疎い人にはとても意地悪な仕組みになっています。早く改善されますように。

 

給付金から始まる健康道場のメルマガ、というのは何か変だと思われるかもしれません。

ですが違います。

 

これは私にとっては整体のお話なのです。

 

それは日本という国を、国民の集合体として一人の人に見立てた場合に、それが国としての健康につながるからです。国が病気にならないためです。

 

前回GWに大阪に出てみて、街が死にかけている、あるいは重病で動けないような様をリアルに感じてしまいました。それで経済についてずっと以前から考えていたことがあり、自粛生活の中で調べたり勉強したりしたことを合わせてまとまってきたことをお話しします。

 

【お金の移動は国の氣であり血液である】

それをかいつまんで言うと、

●「今の世の中の仕組みでは、『お金の移動』が整体でいう『氣』であり、医学的には血液である」

ということです。

 

で、もう一つは

●「お金の値打ちは『国民が働く』ということで生み出している

ということです。

 

【お金がなくても世の中は動く?】

お金って何でしょうね。お金がない=支払いができないということで犯罪に走る人がいます。生命を絶つ人がいます。人の生き死にとかかわっています。すごい力がありそうです。実質あるからそうなるのでしょう。

 

ではいったい、その力はどこから生まれているのでしょうか?そんなことを実は何年も前から延々考えてきたのです。今からお話しすることは実に荒唐無稽な話です。そういう仮説は私も私以外から聞いたことがありません。

 

【お金のない世界】

あるシミュレーションをしてみてください。今は自粛生活でとんでもないことになっていますから、まだコロナ騒ぎがなかった時にします。昨年の12月ぐらいにしましょう。いつだっていいんですが。それで、一度頭の中でシミュレーションしてみてください。

 

それは「昨年の12月に行ったすべての経済活動を、まったく同じ行動を「お金の移動」だけをしなかったらだれか死ぬか、物はなくなるか」という仮定のお話しなのです。

 

みなさんが12月に貯金から下ろしたり、給料もらったり売り上げを手にしたりといったお金があります。それでご飯を食べたり、服を買ったり、映画を観に行ったり、家賃を払ったりしてきたわけです。

 

みなさん、支払ったお金と受け取ったお金がありますよね。給料やバイト代や年金を受け取らないかわりに、支払いもしないんです。それでまったく12月に行ったのと同じ生活をすると考えてみるわけです。

 

そこで、そのお金の移動は無しで行動はまったく同じにしたとしても、その瞬間に物が消えたり、建物が消えたり、電車が消えたりするか?ということなんです。

 

どう考えても物は消えません。(食べたら消えますが、食べる前の料理は消えません)受けたサービスも消えません。もちろんあなたが誰かに提供したなにがしかの行為も消えません。お金がなくてもそれらの行為はまったく支障なく行われるのです。

 

そういうことに気が付いたわけです。

 

今どんどんキャッシュレスになっていますから、レジでもスマホをかざしたらピッと決済されますから現金の移動がありませんね。全員がキャッシュレス生活をしていて、実はその「銀行口座の電子情報の間で数字が移動していると思っていたら、実はシステムが壊れていて、移動していなかった」という事態が起こったら、実質今言っていることが起こりますよね。電子上のお金の移動がシステムエラーで起こらなくても、実際の売り買いにともなった行為も商品も消えません。

 

つまり世の中は壊れないのです。

 

そうすると私たちが生活していけるのは、お金があるからではなく、実際の資源や食料やエネルギーやサービス(教育とかもね)があって、それを取り出して使える状態に変える人の働きがあって成り立っているということが分かります。

 

ただし、そこで前提になっているのが、お金の移動がなかったとしても、それぞれの人がみんな「まったく同じだけ働けば」というのが前提です。同じ生活をするのです。働ける人が働く。(もちろん高齢や病気で働けなくなった方も一定数はいていいわけです。若い時や働けるときには働いてらっしゃるのですから。赤ん坊や児童も学生もまだ働かなくてもいいんです。10年20年後に働けるようになったら働くわけですから、そこは分担です。)

 

世の中が回るだけのものを上手に分担して、働ける条件の人が世の中が回るだけの分を分担して働いていたら、お金がなくても世の中は回っていくわけです。

 

お金によって、みんなが生きていけているように思い込んでいます。

 

先立つものはというわけです。でもお金のない世界を仮定してみたら、お金があるから生きていけるのではなくて、ものがあって人が分担して働くから生きていけるわけです。お金がなくても生きていける。でも全員がそれを採用しないからできないだけなんです。極端な話。物理的には可能ですが頭が許さないだけなのです。

 

【徳政令?】

まわりまわって前号かいた「給付金とかは辞退しないで受け取ってくださいね。それで事情の許す範囲で使いましょう」というお話しにつながりますのでお付き合いください。

 

過去の「不況」とか「恐慌」になると生活が立ち行かなくなった方が多く自殺されます。それこそ万単位になるそうです。幸いにして、日本の新型コロナでは600人少々しか亡くなられていません。(全員が不幸だったからか4月の自殺者は減ったそうです。)アメリカやヨーロッパに比べたら素晴らしい差です。(亡くなられた方や遺族の方には申し訳ありません。あくまで数字上の話で個人の心情は抜きにしての話です)

 

コロナの感染というのは自然現象といっていいと思います。でも、それに伴う経済活動の大幅停止というのはこれは人為です。その人為によって起こった停滞の連鎖で、多くの人が食べられなくなります。職を失います。倒産の結果、死を選ぶという方が生まれてくるというのが過去の歴史の中で繰り返されてきたことです。

 

それで先ほどの話に戻ります。もちろん実現可能な話ではありません。ですが、この2カ月3カ月の極端な経済活動自粛の期間内、すべての支払い・受け取りを全員が放棄したら、今現在で死んでいない方はだれも死なないで済み、事業をたたもうとしかけている方もそうしないですむということにはなりませんか?

 

入ってくるものがないのに、支払いだけは待ったなしだから多くの店がつぶれてしまうのです。入ってこなかったけど一切支払わなくて済めば、どこもつぶれなくて済みます。

 

そんなことは絶対に無理だとはわかっています。理屈だけの理想論だとは知っています。だけれどもすべての国民も企業も「了解です」となれば、可能なわけです。

 

コロナは自然現象ですから変えられません。でも、緊急事態宣言とか営業の自粛というのは人為なわけです。コロナは変えられませんが、人が決めて実行したことは、人が決めて実行することで変えていけるはずなのです。

 

なので、この話もうしばらくお付き合いください。ここまでは実際には実現不可能な話です。絵空事を語っています。

が、そこから現実的な話に続きます。

 

進化体操と和の体育
新大阪健康道場

津田啓史 拝