【それだけを見ていてはわからない】
筋トレ、柔軟、武術、ヨガ、整体を通して「身体のもともとあるべきふるまい」を研究してきました。
思うことは、「その世界の中からだけの視点では見つからないことが多い」ということです。もちろん、私のレベルが低いからで、達人名人は一道から諸芸に通じるのでしょうが、私はそうはいかない。
ヨガの指導員をしている時に、海外から「ストレッチ」というものが入ってきました。
ヨガだけ見て無視すれば楽です。でも私は気になってしょうがない。体操の形も呼吸の仕方も似たようなものです。その動きの部分だけ比較したら、同じやんけと思ってしまう。産地が「インド産」か「欧米産」の違いぐらいです。歴史を比較すれば違うでしょうが、教室で生徒さんに提供するものを比べれば大差ありません。ゆっくりと呼吸して深く曲げ伸ばしする。一緒やん。
習いに来られる人にとって、心から「ヨガの方がいいですよ」と言える確定した事実が見当たらない。結局その辺にやたらこだわるのは団体の中でも自分だけなので、最終的には自分で探さざるを得なくなります。そうやって結果的に一人でコツコツと確かめる人生になり(笑)、結果として多くの事実や現象や法則みたいなものを見つけることができたのでありがたい不満なのですが。
ちょっと視点の違う話です。良かったら読んであなたの発想を変える手立てになればと思います。
新大阪健康道場のある大阪では、秋に「大阪都構想」を推進するかどうかの住民投票というのが行われるみたいです。コロナ禍でそんな投票している場合じゃないでしょというのはちょっとこの際置いておきます。
推進されている「大阪維新の会」のHPを見ると、都構想が説明してあります。都構想という名称がそもそも実態とはちがい、中身は大阪市を5つの区に分けて、結果としてそれぞれ選挙で区長と議会を選んだり区役所を作ったりする、ということです。
看板と中身が違うやんけと思います。全然「都」になる話ではありません。大阪府は大阪府のままで大阪市だけ5つに分けるという話です。
理由として大きな大阪市では市長一人で大変だ。大阪市を五つの特別区(東京の世田谷区とか渋谷区みたいなもの)に分けてより身近な役所と議会にすればみなさんにいいでしょ、という意味のことが書いてあります。
これだけ読むとそうかもな、と思います。
そこで「良否を判断する時は、単独では見ないで比較するの原則」を当てはめてみます。大阪市を分割して5つの特別区にするのがそんなにいい話だったら、別に大阪以外がやったっていい話です。
大阪市というのは政令指定都市です。政令指定都市というのは普通の都市よりも使える予算や権限が大きくなるらしく、全国の市としては「なれたらうれしいな」というものらしいです。それを手放して解体して小さな地方都市にする方が幸せになれますよという主張です。なんか違うような気がしてきました。
さらに言えば、名古屋市を5つに分けて名古屋(1)名古屋(2)、、、名古屋(5)に分けるというのと同じ話です。横浜市というのをやめて5つの区にするということです。
ここまでくるとなんのメリットも感じません。小さなことをちまちましかやれない自治体規模になり、さらに5つに分けるときにたくさんのお金がいります。新たに5つの議会、5つの役場、教育委員会から社会福祉協議会から保健所なども全部5つ作り直しです。
名古屋や横浜でメリットを感じないものが大阪だけでいきなりメリットがある、というのはおかしな話です。あるとしたら「たまたま今だけ大阪にある不都合」で、普遍的なものではないと考えられます。
「そのものだけ」を見ているから特性や短所や長所が分からない。だまされるのです。錯覚するのです。よくわからなければ比較することで、その長所短所を見極め、短所を消し、長所を活かすということを身体の面でずっとやってきたわけです。だから上のような見方ができる。
コロナだって、コロナだけ単品で見たり、陽性者数だけを見るから判断を間違えるのです。当初から言っているように、さまざまな要素で身近にある「インフルエンザ」と比較していけば、危険性、安全性、特性、気を付けるところ、スルーできるところわかってきます。新型コロナが危なくもなんともないとは言っていません。その危険度がどの程度が想像しやすくなると言っています。
コロナの死者900名。インフルエンザの年間の死者、3000名。インフルエンザ由来での不調から、別な病気で亡くなられた人まで見れば1万人ぐらいが亡くなられている。この数字とコロナは合わせてみないといけない。コロナを軽視しろということではないですよ。
これからは実際の講座と、オンラインの講座を行き来する方向へ行きます。それぞれの短所を補い、長所を活かせるように右往左往していきますので、よろしくお願いします。