【自分の中の基準が変わると変わっていける】
今それなりのことがやれているのには、整体や武術武道の達人の方々とお会いできたということがあります。スポーツではないですね。スポーツだと「いわゆるスポーツの練習」の結果、とんでもない高みにたどりついたという感じで、過程が想像できます。ところが、整体や武術の達人の方々は、いったいどの道を通ったらそこにいけるのか、ということが皆目想像がつかない。そこがいいのですね。
スポーツ的な練習なら肉体的な疲労が想像できますから、「あ、無理」と最初から今後自分が実行していく選択肢に乗ってこない。整体や武術の方は、すくなくともスポーツ的肉体疲労とは違う道で行けそうだと思い、逆にスポーツ的肉体疲労練習がいない場所を一生懸命探すことになりました。
そしてもう一つ、達人のみなさんは「体現」されているということ。だから世の中にそんな現象が存在するんだということに確信が持てます。世の中にないものは追いかけることを思いつきもしませんが、この世に現存するということが確かなら、いつかたどり着けるかもしれないと思い、結果、こうやって何十年も追いかけることができました。いくつかはものになったし。
大学二年生、20歳のときに北海道最北端宗谷岬から、九州最南端佐多岬まで2880キロを徒歩で旅したことがあります。104日かかりました。
高校時代に読んだ冒険家の植村直己さんの本がきっかけです。グリーランド犬ぞり3000キロに挑戦しようと思った植村さんは、その3000キロという距離を身体で体感しておこうと思い、徒歩による日本縦断を思いつかれました。その記録が54日。稚内駅から鹿児島駅までで、その54日というのが日本記録とされていました。
それで、その植村さんが徒歩による日本縦断をされたということを読んで、「よーし俺も挑戦するぞー」と奮い立ったという感じかと言えばまったくそうではない。だいたい植村さんは登山家で世界五大陸の最高峰に挑戦!みたいな方なので、順当にあこがれるとすれば「俺もエベレストに上るぞ」みたいな話でしょうが、高山への登山というのにはピクリとも動きません。
植村さんの徒歩日本縦断のエピソードを読んだ感想というのが「あ、日本を歩いて縦断してもいいんだ」というものです。「あ、そんなことしてもいいんだ」なんです。
それまで日本を人力で旅するといえば、昭和の漫画で「サイクル野郎」というのがあり、自転車で日本一周をするというものでした。つまり私の中の常識は「若者が日本を旅するにおいて、もっとも困難なもので自転車」という常識が刷り込まれており(だって漫画になるぐらいすごいことですもの)、それが植村さんのエピソードで「あ、歩いてもいいんだ(俺も)」というものに転換したのです。
よくよく考えれば汽車が通るまでは、陸上交通といえば徒歩。松尾芭蕉も伊能忠敬も坂本龍馬も歩いていたのです。ですが、それは歴史上の話で、同時代の植村さんが私の中の常識をひょいっと壊されたのですね。
人間ができることなんだ、俺がやってもいいんだ、という脳の中の「無理」から「やってもいいこと」に変換された。これが決定的に大事でした。
という話から整体の話になるのですが、一回分に収まらないので今日はそちらにはいきません。
さて津田啓史の二十歳の日本縦断。計画では植村直己さんの54日の記録を破ろうというものでした。しかしながら歩き出して三日目に「泊って行けよ」と言ってくださった北海道のお土産屋さんの居心地がよくて二泊三日泊ってしまい、三日にして目標は砕け散ってしまいました。結果として予定のほぼ倍の104日。それでも自分的には素敵な記録でした。
ちなみに39年前の今頃は、北陸富山から若狭に向かって歩いていた頃ですね。
さて、大学生というのは先輩の影響を圧倒的に受けます。数年後3つ下のバイト先の後輩がやはり「徒歩日本縦断をする!」と言い出しました。(私は留年し、さらに卒業後もヨガの修行資金をためるために松江で働いていたので年下の後輩がたくさんいるのです)運動部でも特にトレーニングもしていないただの農学部のあんちゃんです。その彼が49日で成し遂げました。
世間の方々とはなんと苦痛に耐えられるんだ。俺にはあの記録は到底無理。いわゆる「根性」「精神力」というものは俺には大してないらしい、ということにうすうす気づかされた私でした。
でも結果として、苦痛に耐えるのは嫌、根性や精神力というものは虚弱だったために、現在のように「苦痛に耐えず、根性や精神力に頼ることなく、目標を実現していき、スキルを日々アップするにはどうしたらいいか」ということを生涯かけて研究することになったのですから、読者のみなさんにも自分自身にも良しとしましょう。
自分にあるものを生かす。それが全生なのです。