私は誰?ここはどこ?

【私は誰?ここはどこ?】

水風呂にはいるときに、顔も手足も平気で、胴体部分だけが冷たい。

冷たさに躊躇してなかなかしゃがめない。時によっては「分単位」で水風呂につっ立っています。ところが、実際に首までじゃぼんと浸かってしまうと、さほど冷たくはないのです。しばらくたつと爽快感さえ出てくる。それが悔しく不可解なのです。

実際には水風呂をスルーするサウラーも多い。十三の商店街のサウナもある銭湯に行ったら、サウナから出てくる人が100%ちゅうちょなく水風呂へ直行されていて、大阪の下町の住民の耐冷水能力の高さにびっくりしましたが、理由はわかりません。ただいろんなサウナに行っても、けっこう水風呂は避ける人が多いから十三の銭湯ではびっくりしたというお話しです。

私の場合はサウナで汗を流すというよりも、温熱サウナ後の水風呂を繰り返すと出てくる「超深呼吸身体」にたどり着くのが目的なので、水風呂をスルーしたら何のためにサウナに行ったかわかりません。なので水に浸かるまでずっと立っています。いつまでも突っ立っているといかにも「根性なし」という看板を背負っているようなものなので、だんだん恥ずかしくなってくる。なのでそろりそろりとしゃがんでいき、数十秒から一分以上かけてしゃがみなんとか首まで浸かる。

致命的なダメージのないものに大騒ぎして、水風呂でいつまでも突っ立って座れないというのは何か理不尽です。悔しいです。それで、ほんとに「キャーッ」となっているところをていねいに探していくと、結果的に私の胴体部分は、水面の外気温と水中の水温の格差が生じている一センチ以内の輪切りの部分の「水温差」を過剰に反応するようになっているらしい。

という具合に悲鳴の見極めがついたのでした。そこで「冷たーい」という部位から全体に広がる拡散感覚ではなく、「どこが冷たいの、温度差を感じるの」という部位をさらに正確に特定するような凝集感覚にしました。

それで、水風呂にしゃがんでいくと、その輪切りの冷たいラインが下から上に移動してきます。その輪切りの部分の温度差のヒヤーに意識を集めるとしゃがめなくなります。なので、輪切りのすぐそばの「冷たくないやん」というところを「やっぱりここは冷たくない、やっぱりここも冷たくない」と、追いかけるとすっとしゃがめました。

つまり、冷たいエリアをあいまいにしていると手立てがなかったのに、本当に冷たいエリアを確定することで、冷たく感じてない部位が特定されて、その冷たくないエリアを追いかけたらダメージというかプチパニックというか、そういった制御不能なものを制御可能なエリアにうんと近づけることができた、ということです。

前回書いたように「暑いのは身体のどの部分なのか」と追いかけるとさほど発熱しているところはなく涼しささえ感じるようになり、「冷たいと大騒ぎしているのは、身体のどこなのか」を追いかけると、過剰に固まらないで水に入れる。

どこが暑い?

「暑さも冷たさも大したことないから我慢しようね」と申し上げているわけではありません。私から行動や行動の意欲を大幅に減退させている暑さや水の冷たさというものも、冷静に客観的にどこがどうなっているのか、ということを見極めたとたんに、膠着していた私からするするっとダメージを受けない行動がでてきましたよ、ということが言いたいのです。

成功した人に学ぼうとするとどうしても「何をやって成功した、うまくいった、上達した」かに興味が集まります。もちろん価値のあることだと思います。ですがそれを生かしきれないことが多い。私の場合はそうでした。一時的にモチベーションを上げることができた程度のものがほとんどです。

それは「私は今何をやっているのか」ということが実はあいまいだということが大きく足を引っ張っているように思えるのです。成功した人は成功できた位置に立っていたのでしょう。自分の立ち位置が分かっている、ということが何よりも大事。

コメディでよく頭かなんかぶつけて「私は誰?ここはどこ?」というセリフが出ますが、この問いに答えることが成功や改善や上達には必須不可欠だと思うのです。

 

「セルフ整体・くらげ体操
&家族整体・皮下チューニング」
津田啓史(つだひろふみ) 拝