疫病神がまん延していますが 2
「疫病神がまん延していますが 2」
コロナ禍によっておこる被害は、高齢の方や基礎疾患のある方、たまたま重症化しやすい素質や条件を持っていた方の死亡や重篤化を除けば、派生して起こるほとんどのことがお金で対応できます。
たとえば、昨年の夏場前後に医療に手厚く補助金などを使うことで今現在よりも強化した医療体制で冬場を迎えることだってできたのです。そして、日本の政府というのは通貨発行権を持っています。めちゃめちゃかいつまんで言うと、お金を刷って配る能力を持っているのです。そして、少々お金を配ったからと言って国が財政破綻することはないのです。それがなぜなのかという部分を踏み込んで書くと終わらなくなるのでここはこれまでにします。
とにかく、江戸時代の疫病と違って、神に祈るしかないわけではなく、人間の力で対応したり被害を軽減できることがけた外れに増えているのです。しかも予算をつければつけるほど、疾病拡大だけでなくさまざまな経済被害なども含めて大幅に軽減できる、それがコロナ禍だということは、改めて認識していきたいと思います。
なすすべがないのではないのです。欧米などに比べて、増えたと言ってもまだ一桁は少ない感染数、感染率、死亡者ですんでいます。私が住む和歌山県は、当初からPCR検査の基準を甘くして積極的に検査して、増えかけてもおさえこめています。
人口はもちろん少ないです。でもその分、自由に使える予算だって少ないでしょう。設備も人員だって豊富ではないでしょう。でもやれることを早めにやって、結果的にかなり少なめで推移していけるところに持ち込めています。適切なことをやって、それなりの結果を出せている自治体だってあるのです。テレビに出るだけが自治体の長の仕事ではないのです。やっている感を出しているのではなく、実際にやっているところだって少数ながらあるのです。いいことは真似すりゃいいだけです。
人体というのは、ほとんどの人がけっこう快適に気持ちよく様々なことに対処しながらも、快適に生きていけるような道具立てはもともとそろっていると思っています。なんせ何億年をこの地球上で生き延びてきた生き物の子孫が我々ですから。
使い方の間違い、認識の間違いやずれ、部分にだけ過剰に負担をかけるようなバランスの崩れみたいなものを正せれば、けっこう毎日を気持ちよく過ごしていけるようになると信じて整体(体育としての整体、生活整体など広義の意味で)を研究し、紹介し、講習し、施術する生活を生業としています。
バランスを整えていけば「けっこういいじゃん」に戻せる方法を見つけては紹介していっているわけです。だから余計に、その一人一人の人が集まってできている日本という国や、政治や経済の仕組みが「やれることがあるのにやっていない」「やらんでいいことをせっせとやっている」「部分だけ取り上げて全体の理解を進めないような報道」のような部分が目立つのが気持ち悪くて仕方がないのです。
個人個人の身体と感性を整えることが、集合体としての国のありようが正されることにつながり、国の様々な仕組みが整うことで、個人にしわ寄せがきて疲弊したり絶望したり極端な場合は自死を選んだりすることが少しでも減っていく、改善していくようになることを願わざるを得ません。
長々とお付き合いありがとうございました。一人一人がやれることをやって、少しでも改善された世の中になる一年になるといいですね。
個人の整体を研究すると、国も整体が必要だと思わざるを得ない生活整体研究家
津田啓史