元気になる!を考える 1

【元気になる!を考える 1】

野口晴哉先生が説かれた整体というのは、治療術のことではありません。「全生」といって、無理せず悠々とでも活発に溌剌と生き切りましょうよ、という思想とそのための技法のことです。これを追いかけております。

野口整体というのは、安静にして栄養のあるものを食べて、病気を治しましょうという考え方ではなく、(必要な時、必要な人は否定しませんよ)、動かせるところは動かす、使って使って丈夫になっていこうよと考えています。

野口整体は「氣」の整体ですが、狭い意味では「回復や治癒のエネルギー的なもの」になりますが、「元気」とか「やる気」というような概念も含みます。

氣が先に動いて、身体が追いかけて動くと考えています。明確な意識になる以前の動きの段階を氣ととらえているという感じでしょうか。だからかなり広い概念を含みます。

だから「個人個人の氣の動きをタイプ別に12種類に分類した体癖論」や意識以前のところに前向きな氣の動きをぽっと投げ込む「潜在意識教育」などが成立しているのは、ある意味必然だったのでしょう。(追いかける方は大変ですが、2~3回生まれ変わって研究する予定なので、当分飽きない)

そうやって個人の「全生」を研究講習させていただいていても、例えば少しの備え、少しの用心を怠ったために生命を失うなんてことでは全生できません。だからどうしても防災を説きます。

個人の健康を考えても、社会が生きていけないぐらいボロボロだったら、最悪の話として生命を絶つことをみずから選んでしまう人を出してしまいます。事実として10年ぐらい自死される方は減り続けていたのが、昨年一転して上昇に転じてしまいました。

だから安心して整体を語れる社会にしないと私の仕事は成り立たないので、政治や経済の「本来どうなっているのか」「どうあるのが正しいと言えるのか」というようなことからも目を背けることができません。

話を整体に戻すと、個人を「元気」にしようとするというのは、その人の体内の氣も、社会的活動の氣もともに活発にしていこうよということになります。

個人であれば「氣の手当て」をすれば、相手の方も触発されて自らの氣を引き出してきて、「元の氣のバランス、量」に近づき、硬さはとろけて生物特有の弾力がよみがえり、表面がとろけた分だけ芯や背骨や柔らかいけれどもしっかりとして、ばらけていたものがまとまってきて、文字通り「元気がでました」ということになります。

でも「国家」とか「経済」というものはちょっと大きくて、私も手をどこに当てたらいいかちょっとわかりません。

でも社会全体が元気にならないと、個人の元気復活というものも大幅に制限されてしまいます。

そうすると、やはり今の社会を支えているものを探して、それを「まともに近づける」ということになり、そのためのとり合えずできることは情報発信ということになります。

 

個人の整体を考えるなら、国もまともにならないと無理だから、国やお金の問題も同時に「本来どういうものなのか」を考える生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史