先立つものはお金ではない?!
【先立つものはお金ではない?!】
よく「鶏が先か卵が先か」という結論が出ない話がありますが、「お金が先か物が先か」というのは結論が出ています。
今の世の中、個人としては「お金がなければ何もできない」ので「先立つものはお金」だと思いがちです。でも昨日マスクの例で検討したように実は逆なのです。ものがあるから、後追いでお金に価値が宿るのです。
そして、社会が成熟してきて、高度医療から風俗店までありとあらゆるものやサービスが多様に手に入るところまで「実際のものやサービスを供給する力」が安定して得られるようになっているから、お金の価値が安定しているのです。
じゃあ、そのお金に価値を宿らせている「モノやサービスを提供」しているのは誰?のおかげなのかということを考えてみたい。
もちろん政治家ではないし、富裕層でもありません。圧倒的に庶民なのです。さらに言えば、より人の生存するために不可欠な仕事をしている人ほど価値を生み出しています。
だいたい今の世の中というのは、生活必需品ほど安い。そういうものが安く手に入るために、汗をかいている人のおかげでお金に価値が宿ります。
実際にある食べ物や水、輸送運送、エネルギーやライフライン、それらを担う資源と人(のはたらき)と設備がお金に価値を宿しています。
テレワークができて高給を取れる人や、投資や利子で儲けられる人がいなくても世の中は回ります。つまりお金に価値を宿す面では大して貢献していないのです。
これが身体・体育とまったく同じに見えるのです。頭がいいとか、顔がいいと世間的には得をすることが多いようです。あの人の腸は素敵ねとか、あの人の心臓はたくましくて素敵とか、あの人の皮ふの常在菌ってかっこいいとか、そういうことは言われません。
言われませんが、動いて当たり前のように思われているものの総合力で私たちは生命を維持し、種を存続させているのです。ありふれたものこそ重要なのです。
もう一つの側面で言えば、お金は人と人の間を移動する時に何かを生み出します。使われているときにのみ価値が宿ります。財布の中に入っているときは「可能性」しかありません。人の間を移動するときに、お金を受け取った人に「働く」という行動を生みだします。
お金が使われるほど、受け取った人が何かを生産するということとセットになりますから、供給できるもの(形があるもの)やサービス(形がないもの)がある状態で、お金が人と人の間をどんどん移動していくということが活発なほど、ますますお金に価値が宿ります。
生活整体研究家
進化体操と和の体育
津田啓史 拝