経済から見る骨折の話 1

【経済から見る骨折の話 1】

居酒屋があっても、お客さんが来なければただの部屋でしかありません。そこにお客さんがいて、まぐろは刺身になって消費されます。それで魚屋さんも運送屋さんも漁師さんにも仕事が生まれます。同時にお金が通過していきます。

みんながお金をため込んで使わなくなったら、仕事が生まれません。すると、今ある仕事の延長線上に、新しい技術や商品が生まれる可能性をどんどん下げてしまいます。

経済というのは「観ていて楽しいラグビー」みたいだなと思います。もちろんラグビーでも、一人で突っ走ってトライする場面もありますが、そんなのは一試合に数回あるかないかです。大半は細かいパスを回し続けて成り立ちます。これが観ていて楽しい。

だから経済の根本は庶民なわけです。庶民であればあるほど、ため込めません。すぐに支払いに消えます(うちもそうです)。でもそれは即座に誰かの所得になり、その際に仕事を生みます。市中に出回っている金額が多いほどパスは多くなり、その速度が速いほど活発になり、健全になり、倒れる人が減ります。

大金持ちの預金や大企業の内部留保が増えるほど、世間に出回るお金が減ります。すると回せるボールが減ります。どんどんパス回しは遅くなり社会の底力は損なわれます。それがここ数十年の日本です。

あくまでも一般的な話で、個別の重病は省きますが、野口先生は「病気が治ったらあれこれやりたいというのは間違いだ」と指摘されます。

「活発に動こう、働こうとするから、病気になっておれなくなるのだ」ということを指摘されます。

野口整体では、あまり安静を勧めません。もちろん身体のいうことを無視して無理をしろ、なにもかもが修行だ!鍛錬だ!などと極端なことを強制するわけでもありません。

動かないところは動かないのだから動かさないが、それ以外はちゃんと動くのだから、「無理はしないで、できることはふだん通り」というのが基本の考え方です。

先日、家内が両手首を骨折したとき、医者にギブスをするかどうかたずねられたので、絶対に必要ということでないのであればと、なしで帰ってきました。

私はもちろん医師ではないし、柔道整復師(国家資格)でもないので、骨折そのものの治療行為はできません。

実際にねんざや骨折をしている人を「内観」でひずみを感じとると、痛みとショックで全身が大きくよじれていることが多いです。(表面の歪みではありません)

これをほっておくと、患部が良くなっていても、その内包している「ショックによるひずみ」が残っている分だけ、実際に痛めた患部に余分な痛みが増えて、長引きます。なので、患部そのものは触らないで、全身のショックによるよじれみたいなものを整体します。

ではどんなふうに手当てしたかというお話は明日。

生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史 拝