見えないものが見える人
【見えないものが見える人】
野口整体の創始者、野口晴哉(のぐちはるちか)先生は人の悪いところがもとから見えた人だと言うのです。
野口先生の奥様、野口昭子さんが書かれたちくま文庫から出ている「回想の野口晴哉」という本があります。
61ページ
「僕は子供の頃から自然に見えてしまうんだ。人の体でも、じっと見ると、悪いところが黒く見える。
だから、道場で向こうから歩いてきて僕にお辞儀をするまでに、みんな判ってしまうんだ。僕が背骨を調べるのは、それを確かめるためだった」
62ページ
「僕が困ったのは、往来や電車の中で、目の前にいる人の悪いところが見えると、手がつい出てしまうことだった。子供のころならまだしも、年頃になると怪しまれるからね。それでいつも腕組みをしていた。
それでも、そこの黒く見える人は、どういう歩き方、喋り方をするか、後をつけて観ていたこともある」
野口先生の何が凄いかというと、この最後の1〜2行の所です。
人の悪いところが見えるというのは、それは野口先生に備わっている特殊能力です。
ですが、人の見えないものが見えるというだけだったら、幽霊が見えるとか、悪霊が見えるとか、前世が見えるとか、悪い氣が見えるとかそういうことを言っている人はたくさんいます。
そういう物言いをする人を、私はあまり信用していません(例外はあります)。理由があります。
本当に見えるのかもしれませんが、幻覚や幻聴や妄想かもしれません。
悪しき想念のようなものが、ある空間に存在するというようなことはあり得ると思っていますが、それが見えるという人が、その何かを脳内で映像に変換したときには、その人の持つイメージで特定の傾向のあるもの変換されてしまうみたいなことだってあるだろうなと思います。
つまり、何かが存在するのは本当だけど、それが戦国時代の落ち武者に見えるというのは、見る人のバイアスがかかっている可能性があるだろうなということです。
つまり、見える、ないしは見えないものの存在を感じるということそのものは否定しないのですが、自分が見えるということに対して、たとえば私の霊視能力は視力としてはいくらぐらいだろうというような自己分析ができる霊能者?だったらこれはけっこう信頼できそうだなと思うでしょうね。(会ったことないけど)
霊視視力1.5位ならその人の話を聞いてもいいけれども、霊視視力0.03位だったら、よほど近づいてみないとちゃんと見えてねーだろうと思ったりするのです。
だから、見える人は見えるんだからしかたないけど、自分の間違えている可能性を一定の分量組み込んでもろもろ判断しているような人は信頼できるけれども、自分の見えるものを100%信用しているような人は、なんか信用できないなと思うわけです。
自分が0.03なのか1.5なのか、そういうことへの疑問を全く持たずに、お墓を買えとか先祖供養しろとか言ってほしくないと思います。(別にそんなこと言われた経験ないけど)
話は脱線しました。野口先生がすごいなというのは、ここの内臓が悪い人はどういう喋り方をするかどういう歩き方をするかというようなことをさらに追跡して調査し、なおかつ背骨の歪み的な特性として分類までしようとされたところです。見えないものを見えるものの世界に引き出そうとされたのですね。(つづく)
生活整体研究家
進化体操と和の体育
津田啓史 拝