(52)法学科に入学したのですが

もともとある力を、ちゃんと力が出る形にまとめていく。私が魅力を感じているのはそういう方向性です。機械の修理のようなニュアンスでの「治療」というのとは少々違うのですね。

ちなみに高校生の私が進路として身の程知らずに選んだのは「法学科に行って弁護士」というものでした。星新一氏の「人民は弱し、官吏は強し」という本を読んで大泣きし、一般民衆とともに横暴な権力と戦う弁護士になるのだと、その時点での自らの成績偏差値を一切考慮することなく、そういう進路を目指しました。

それは志望学部の話で、課外活動は「応援団」と決めていました。

さて受験するのは島根大学となりました。赤本を買い、大学の概要などを読み、どういうクラブがあるのかなどを調べていきました。でもそこには応援団は書いてありません。でも総合大学なのだからほんとはあるんだろう、書いていないだけだろうと思い込み、合格してみたらやっぱりありませんでした。

よく考えれば応援団がないのもやむをえません。島根県松江市にある島根大学には、近隣に対抗戦をするような大学がないのです。一番近い鳥取大学でも電車で3時間ぐらいは離れています。(鈍行で。特急では移動したことがなかったので不明(笑))

東京六大学野球リーグなんてところに属する大学であれば、活発に対抗戦があり、リーグ戦だけでも数多い試合があります。当然応援団同志の対抗意識も醸成されるでしょう。島根大学の場合は、近隣に対抗する大学がないから、試合がない。ライバルがいないから対抗意識も育たない。そういう環境では応援団というものは不要だったのです。

大学だからあるだろうというのは、環境を考慮しない思い込みだったのでした。

結果として、合否電報を受け付けていただいた関係で合気道部に入部することになり、残念ながらそこは日本武術の粋のようなレベルではまったくなく、でもちょっとでも伝説の名人達人に近づきたいといろいろ勉強して、画期的な身体能力になりそうだとヨガなども自己流で研究してやっていました。

そういった書籍で指圧のようなものも覚えて、合気道部の先輩の引きで海鮮居酒屋のバイトをしていて、閉店後にマスターや板前さんに指圧するのがバイトに行った時の日課となっていました。入学時に掲げた弁護士への夢は半年で路線変更し、その後は「日本一のあきんどになろう」と思っていろいろ取り組みました。