大阪市廃止賛成の方は読まれない方がいいです その3
【大阪市廃止賛成の方は読まれない方がいいです その3】
また今回も大阪市を急いで廃止することないでしょう、ということを書いています。前回とちょっと違うことを感じている部分があります。私の視点で調べてもほとんどメリットが感じられないのに、これだけ賛成する人がいるというのは、反対する人の言うことをほとんど理解していないのか、あるいは維新になる以前がよほどひどいものだと感じさせる何かがあったのかな、という点です。
では、本題。
●生命には速度がある
整体の仕事をしておりますと、奇跡のような治療というものはなかなかあるもんじゃない、と実感します。もちろん20年以上やっていますから、壁を伝い歩きしていたおばあちゃんが、20分後にジャンプしたり、物心ついた時から横から肘をまげて指先で肩を触れなかった人が5分ほどで肩に触れるようになったりというようなことはあります。
そういう極めて短時間で治療的効果が表れる整体というのは、私が思うにはじめから壊れてなかった場合です。使い方の間違いです。電池をさかさまに入れたり、リモコンのボタンを間違えたりしたらテレビはつかない。そういう場合は瞬間的に治ったように見える。本当に壊れている場合は、植物の種が植えて10分で伸びて実をつけるということのないように、的確な手当ができていたとしても、治るだけの時間はかかる。そういうもんだと実感しています。
人間というものはそういうものです。ある人の出会いやある体験で一気に生まれ変わったようになった体験などは小説やドラマで取り上げられますが、それは極めて珍しいから取り上げられるわけです。全国民が一夜にして別人に生まれ変わるようなことが日常だったらドラマになりません。
変わろうとしてもなかなか変われない。だから何かを改善していこうとしたら、当たり前のことをやり続けて、少しずつ少しずつ改善を続けるというような、地に足がついたものでないと結局はうわべだけで本当には変わらないと思っています。
●結局は人です
さて災害救援関係の話です。結局は人です。さまざまな地域を実際に見てきたし、また信頼できる人を通じて情報も得てきました。
洪水や地震の後の被害に合われた一軒一軒のお住まいが結果的にボランティアなりNPOなりの助けが届き、どれだけ助けられたかというのは、もう自治体によって極端な差があります。
一つは自治体の長。一つはボランティアセンターの運営する社会福祉協議会の中に、本気で災害対策を考えて覚悟していた人がいるかいないか。このあたりで全然変わってきます。
関西の某市では、集まった経験豊富な災害救援のNPOにすぐに活動拠点になる公園とグランドを開放しました。その時の社協の担当者が「私の責任でそこは使えるようにします。文句を言われても私が叱られたらいいだけですから」としらっと言い(目の前で見た)、受け入れ態勢があるのでベテラン諸団体が次々に集まってあっというまに有機的な協力体制ができました。その後その市では長く活動が続き、さらに後継の地元の団体も生まれて、結果として今でも活動が続いています。
隣接する某市では、、、、やめときます。すごく差があったという話です。
結局は覚悟を決めた人、勉強して想定して対策を用意して本気で進めてきた「現場の人」がいるといないのとで全然違うのです。そういう人がいたとしても、ある程度機能するようになるまでそれ相応の年数の用意がいるのです。人と組織に備わった知見やスキルというものを簡単に手放すべきではないです。
昔は公務員って楽そうで暇そうで安定して危機感ないよなーとか思っていたし、本当にそういう面もあったのでしょう。でもその後の人生経験の中で絶対に給料からしたら割に合わないような献身的な公務員の方々とも多く知り合いになり、見方が一面的だったと思います。
●最近は「改革」という人を怪しく感じます
私は人体のことを基本に考える仕事だから、圧倒的にそれが基礎になります。企業だろうと行政だろうと、その「人体」が集まってできたものです。人間はちょん切って貼り合わせれば機能しません。使っていないから取り除くというわけにはいきません。効率が悪いから民間(他人)にやらせるということもできません。
そして、人の営みの中での幸福のようなものの上限というのはおよそ想像した域を超えませんが、訪れる不幸不本意というものは想像を絶する巨大なものが来ます。平気で来ます。何回も来ます。
幸せは「ささやか」止まり、短期間止まりですが、不幸不本意災害などは容赦ないです。
都構想で改革で投資して経済成長という絵にかいた餅よりも、20年~30年以内には80%の確率で起こる南海トラフ巨大地震に備えるような方向を進んでいってほしい。確実に来るとわかっている不幸=被害を減らすというのは、こと南海トラフ対策に関しては確実に報われます。ざくっとした試算で、大阪府の被害金額24兆円が予想されています。しっかりした対策が打てれば打てるほど、兆の単位の被害を減らせられる。
大成功を追いかけて時間を無駄にするよりも、最悪の事態を想定して、そこから少しでも距離を離すにはどうしたらいいかと考えていくと、けっこう「地道できちんとしたこと」が考えられます。
この記事は災害防災という面を書くものでした。その観点から、大阪市を廃止して、権限の弱い、人材が薄くなる4つの特別区に分割して災害に強い街になるとはとうてい思えない。これは、行政側の防災を実際に担当する方とも意見交換した上での私の意見です。
私にはついぞ理解できませんでしたが、都構想そのものはとってもいいものなのかもしれません。でもその説明に使っている大阪市を四つに分割した方がお金は浮いてくる、サービスは向上するというのは何度考えても机上の空論です。四つに分けてさえそんなに黒字化するとような魔法があるなら、分割の手間をかけないで大阪市のままでやればいいと思います。
命あってこその整体だから、
まず防災を呼びかける整体師
津田啓史