野口整体の氣の話 2

【野口整体の氣の話 2】

氣というものは血液のように見えません。お金というものはお札という形で目に見えます。だから「同じようなものだ」という津田の説には違和感があるかもしれません。その解説は後に書きます。

なぜ今お金の話をするかというと、コロナ禍の中生活している庶民の生活の話です。緊急事態宣言でいろいろなところに仕事を休んでねということになり、単に休業要請を受けた業種だけでなく、そこにつらなるあらゆる業種の人に影響がいきます。

国が個人の生活に制限をかけるなら正当な補償があってしかるべきだというのは、例えばダムを作るから移転するとか、道路を拡張するから引っ越してねというような場合を考えればすぐにわかります。

ダムであれば移転するおうちの方だけの話なので分かりやすいですが、お店の休業ということになると、影響はそのお店だけにとどまりませんが、そこを追いかけての補償という意味では、少し補助金のようなものがありますが制度的にまったく不完全です。

制度的に不完全なのでよけいにそうなるのだと思いますが、ちゃんと補償をしろというのは国民全員の意見にはなりにくい。補償した方がいいだろうけれども、財源には限りがあるから何もかも補償するのは無理だ、働いていないやつにお金を出すのはけしからんとまでいう人もあります。

でも言い換えれば、財源に問題がなければ十分な補償を該当者が受けられても反対の声はないと考えられます。

政治の話をしているのではなく、整体の話をしております。お金というのと氣というのは、実に似ているという話をしております。

氣というものは、医学的な検査で測れるものではありません。血液検査や呼気の検査をしたら氣のデータが取れるというようなものではない。そういう意味では測定可能な実態は確かにないとも言えます。

一方でお金というものは、紙幣の形をして目の前を通り過ぎますから実態があるように見えます。目の前にあるときを観るからそう見えます。ところが、そのお金がどうやって生まれてくるのかまでを視野にいれると話は全然違ってきます。

昔のお金と今のお金というのは成り立ちが違います。昔のお金というのは実態がありました。日本の時代劇だと小判という金貨がベースになっていますよね。

西洋も金貨がありましたが、金というのは重たいし、小分けにもしずらい。というので、金の預かり証を発行して、これをお金として流通させていました。つまり、紙幣というのは金のかわりに軽くて便利だから使っていたというものだったのです。金本位制といいます。

ところが1930年代前半に金本位制は世界的になくなりました。何故に変わったか、そのあとどう推移してきたかという詳しいことはまだ調べがついていないのですが、今どうなっているかということは分かります。

つまり昔の紙幣には金貨という裏付けがありました。今はありません。今のお金というのは、全く架空のものなのです。

今世の中に出回っているお金がどうやって世の中に登場してきたのかというと、二つの方法があります。(つづく)

 

生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史 拝