㉙そして阪神大震災

私が十年近くの所属となった大槻ヨガの中で、専業の男性指導者というのは少なく、一生の仕事とも思って始めていましたので、それなりにかなり上の立場になっていました。

この連載の冒頭にも書きましたように、生活総合ヨガという形式でのヨガには、びっくりするぐらいの効果と変化がありました。ただ、結果はでるけれどもそのメカニズムは分からない。精神面や原理原則での師匠の教えは比類なく素晴らしいものでしたが、「身体調整や能力開発の技術」としてのヨガというものの解明にはまだまだ不満がありました。

このまま長くいればいるほど、偉くなってしまって辞められなくなるということもあり、とりあえず数年かけて「独立させていただきます」ということをお願いして、迷惑がかからないように進めてきていたのでした。

そして1995年の3月一杯で退社ということで話は決まっておりました。

そんな1995年。年末に二人目の子ども、長女が生まれて家内は長男とともに実家へ。一人で気楽だったので、ヨガの会社の中では数少ない男性の後輩を、「合宿しようぜ」と誘い、彼が私の自宅マンションに泊まって数日目に震災は起こりました。

「合宿じゃ」とぶち上げていたので、その日は朝の5時から起きており、30分40分のヨガの自主トレをそれぞれで行い、早く切り上げた私が台所でお湯を沸かそうとしたときに、ドカンという衝撃があり、その後はコンクリートの塊のはずのマンションが「ゴーワゴーワ」という音とともに大きく揺れていました。

気分としては1分以上、少なくてても40秒。でも実際は、20秒ぐらいだったらしいのがその本震の揺れの長さだったそうです。