河野先生の整体ボランティアを目の当たりにして「いいな、いいな」と思っていたということを書きましたが、その整体の必要性を自分自身の身体でも強く感じていたということがその前にありました。
大震災が起こった時は、書いていたように早起きして、ヨガの実習をひとしきり終えて、台所でお茶を沸かそうとしているときでした。キッチンは運よく?狭く、つかまるところもあり、また男性の後輩が一緒に「合宿」していたので、一人の心細さもありませんでした。
さっきまで寝ていたふとんのあった位置には、コーナーに立てていた細くて高いコーナータンスが倒れてきており、それが寝ている間だったら生命を失うほどではないでしょうが、倒れたタンスの角で打撲ぐらいはしていたような家具の配置でした。
でも結局は「目覚めてつかまった状態で、また一人でもない状況で揺れを味わった」という状況だったということを書いています。
これが一人で真っ暗で、家具が当たり、家財道具の下敷きになりといった被害ではなかったということを強調しています。
ヨガの道場は阪急沿線だったと書きましたが、3日後ぐらいにはとりあえずヨガ道場は開けることになりました。大きなスタジオなので、ふだんならキャリヤや希望目的別に4グループぐらいに分けてやるのですが、何人来られるかもわかりませんし、とりあえずごくごく簡単な負荷の軽いプログラムで初心者とそれ以外の二班ぐらいで始めるということになったと思います。(全体一般だったかもしれませんが)
とにもかくにも、その復活第一回目の授業は私が担当させていただいたのです。それで、ふだんの三分の一か四分の一ぐらいの量のプログラムにして、最初はふだんはやらない準備体操をゆっくりとやるというようなカリキュラムでした。
その準備体操の誘導を自分も一緒にやりながらびっくりしたのです。身体のどこもかしこもぎしぎしで筋肉痛のような感じで動いてくれないのです。
それまで無我夢中の3日間というような感じではありましたが、車もありましたし、当日の朝にガソリンもいれたので移動はずっと車を使っていました。(最寄りの電車は止まっていましたし)。つまり、遠方まで毎日歩いて大荷物を担いで、というような状況は一切なかったということが言いたいのです。
にもかかわらず、私の身体というのは何か筋トレをたっぷりやった後の日のように、どこもかしこもバリバリに固まってしまっていたのでした。人間というのは、別に筋トレしなくても、恐怖やストレスだけでもこれだけ固まってしまうんだということにびっくりしたのです。