㊹なりゆきでリーダー
1月の真冬の日本海の重油で汚染された海岸。地元自治会の「動員」みたいな形で参加の方もおられるようだけど、それにしたってそれ相応の覚悟がと思いがなければ来れないでしょう。みな熱い思いをもって駆け付けた人ばかりです。
とりあえずなんの根拠もないけれども、ここで真ん中でみんなに情報を伝えて、スタートストップをかけるだけで、集まった人の思いは力に変わります。まあ、こういうきれいごとを書けるのは、こうやって800人近くの方々に読まれるメルマガという場だからかもしれませんね。きれいごとを書くと「みんなの思いを力に変えるために踏み切りました」なんとことに掛けなくもない。
実際には、もう周りは完全に現場監督だという目でこちらを見ているので、いまさらこっそり波打ち際に降りて、回ってきたバケツを隣に渡すポジションに戻れそうもありません。やるしかないのです。
ただし、なんとなく何をやればいいかということは分かりました。作業の手順や効率化なんてことは分かりません。ただし、波打ち際にいる人は下の様子が分からず、防波堤の陸側にいる人には波打ち際の作業が分かりません。今上はこうなっている、下はこうなっているということを適宜伝えるだけで、あるいみ「安心して休む」「安心してバケツが回ってくるペースが遅くなったことを受け入れられる」というような役割なら果たせそうです。
今思い出しましたけど、そのとき消防隊の人も5~6人、きびきびとランニングで柄杓をもって途中から参加されたのです。どうみても「プロ」の小隊?の方々が、ボランティア現場経験2時間半の私にむかって近づき、隊長?らしき人が、鍛え上げた身体できりりとしたまなざしで
「どちらに入ればよろしいでしょうか!」
胸までの長いゴム長を履いていたし、危険できついところの方がいいと思ったので、「では海から重油のかたまりを汲み上げるところお願いします」
災害初期のころの三国の海は、本当に重油で海水が見えないような状態だったようですが、さすがにこのころになると、そこからはましになっていました。
ただし、漂着した重油がABCと三種類ある重油の中で一番粗悪なC重油。それに海水が低温だったために硬化します。臼で突いたもちみたいになってそこに沈んでいるのですね。取りやすいところの重油はすぐに取れますから、残っているのはテトラポットの奥の方とか、波打ち際から少し離れた海の底というような感じなっていたので、そこに消防の人には行ってもらった、というような判断だったわけです。