㊿脱線中 応援団と私

応援団の話ばかりになってすいません。さらっと行きます。高校2年の一年間、読売新聞の部数拡張のための甲子園の外野席のただ券を集めて外野で応援し、時には吹奏楽部を引き連れて応援。いまでこそトランペット部隊はどこの球場でも盛んですが、甲子園球場で初めてコンバットマーチをやったのは、私共市立尼崎高校阪神タイガース私設応援団だったのでございます。(笑)

高校三年生の時にもわが母校野球部は、連戦連勝でまたしても決勝進出!

阪神タイガースの応援団ですので、学校の応援団旗などありませんから、そのままタイガースの応援旗を振っての応援でした。ベスト8からはサンテレビで試合中継もあります。連戦連勝の市立尼崎高校の応援席には、甲子園のほんとの阪神タイガース応援団からお借りした特大のタイガースの応援旗がひるがえるというまことにのどか?といいますかいいかげんといいますか、関西風味といいますか、学内統制強制のない、まこと自由な校風を満喫させていただきました。

ベスト8かベスト4の試合で劇的な逆転勝ちをおさめて、最前列で気合を入れるためと学生服は暑いので、空手着を着て吹奏楽部のコンバットマーチに合わせて飛び蹴りや二段蹴りを披露していた筆者まで勝利の瞬間にはもみくちゃ。

観客席が最前列になだれ込んできて、父兄のみなさまに握手攻めになりました。どさくさに色っぽくウインクしたお母さまがおられてどぎまぎした18歳の筆者だったのです。

決勝で敗れはしたもの、一回戦から決勝に至るまでの高揚感と、決勝で敗れた時の虚脱感。まあテレビなどで安易に「青春ですねー」とくくられるようなシチュエーションですが、まさに青春を謳歌した応援団ライフだったのでした。

まこと自由な校風だったわが母校です。廊下を歩いていたら、すっぽん首の太田先生がどら声で

「おい津田、校長が呼んでられるから校長室へ行け」

と言われ、今回はいったい何を怒られるのだろうと校長室に行きました。すると校長先生はにこやかな顔です。

「うん、津田君、阪神タイガースの応援団がんばっとるな。ところで甲子園球場の内野席のチケットが二枚手に入ったので進呈しよう。活動に役立たせくれたまえ」

ありがたく頂戴しました。しかしながら、わが応援団の居場所は外野席。校長先生には内緒で、球場外のダフ屋さんに売り、得たお金でジュースか何かを買って飲んだと思います。校長先生すいませんでした。非合法に使いました。