願っても願ってもかなわないのはなぜ

【願っても願ってもかなわないのはなぜ】

7月31日に「脳は空想と現実の区別がつかない。脳がそれほどだましやすいならば、皮ふのみの運動を実際の運動をしているように錯覚させることで、運動改善効果につなげられるのではないか」ということを、皮下チューニングの根拠の解説の仮説として述べました。

言っておきますが、「だから皮下チューニングは効果があるんですよ」というエビデンスとして語りたいわけではありません。この解釈はあくまでも仮説で合っているかどうかは分からないんです。

皮下チューニングをすると、いきなり動きが大幅改善してしまうという「事実」が先にあります。事実が先にあって「なんでこんなに効くんだろう」という説明の必要があって、「たぶん脳が騙されているという作用もあるんじゃないの」という程度の話です。だから、たとえこの仮説が間違っていても平気です。なにしろ効果の方は十分に出ているのですから。

そんなイメージの世界ですが「成功をイメージすると成功する」「成功や幸運を引き寄せる」という説がありますが、半分ほんとで半分は嘘というのが体験的な評価です。

私の経験からいうと「成功・実現したイメージが【わいてきた】ことは成功・実現」し、「意図的に一生懸命思い浮かべた」ことはほとんどうまくいかなかったのです。

しかしながら世の中には「念ずれば現ず(野口晴哉先生)」を筆頭に、「潜在意識で成功する」とか「願えば叶う」というような書籍があふれています。それらのうち「自分は成功したわけじゃないけれども、念じたら叶うという本は売れるから書いている」という人はまず除外します。

しかしながら、野口晴哉先生を筆頭に、その論法では排除できない一定数の「念じたら現じた」方々がおられるのです。それをずっと考えてきました。私の中にも念じたら現じたことがたくさんあり、一方で念じても念じても現じないことがある。これらの現実化する確率を上げるにはどうすればいいか、というのが私の整体人生の中の重要な研究テーマなのです。

そこで一つの仮説です。

念現の達人の方々は、念じたら実現したのではなく、「その方が実現可能なことが湧いてきたのち、念じたので現じた」という仮説です。

私の人生は達人の研究でした。多くの達人は、いとも簡単に達人技を体現します。そして多くの弟子、講習生は、まったく簡単にはできない。形は真似できても中身がない。というかお弟子さんでも全然できない人しかいないなんていう達人の方も多い。そういう達人の方は「〇〇を××すればできる」と簡単に言われます。

「手を伸ばせば屋根に届く、ほら」と言われる。しかし習った人はできない。実は達人の方は見えないはしごか脚立の上に立っている。だから「手を伸ばせば屋根に届く」は嘘ではない。ただわれわれ凡人はその脚立に立っていることが見えない。脚立を作る方法が見えない。そういう「達人あるある」があるのだと思う。

という仮説に立てば、われわれ凡人が少しでも念現確率を上げるためには、内側から湧いてきやすくすること、湧いてきたことに気付けること、湧いてきたことをすくい取ること、そして湧いてきたことを育てること。そういうサイクルを訓練していくこではないかと仮定できます。

過去を思い出しても、実現したいことが【内側から湧いてきた】ときは、実現までのプロセスも同時にうじゃうじゃ絶え間なく湧き出てきます。「誰々さんに連絡して、〇〇さんにあれを引き受けてもらって、△さんが持っているあれを借りてきて、操作は□さんに頼めば、うんできるじゃん」という感じです。

UCLAの研究で「試験でいい成績を取ったイメージを思い浮かべた学生」と「試験までのプロセスをあれこれイメージした学生」のどちらがいい成績を取ったか、という研究がありました。言い換えれば「ゴールの映像」か「プロセスの行動か」の比較とも言えます。さてその結果は、、、次回に。