熊本の地元のちから

【熊本の地元のちから】

みなさんからの募金、4回目は球磨村に入っているオープンジャパンに託しました。長期ボランティアが疲弊しないように、英気を養うときなどに使おうかな、と言われていました。というやり取りを(メールで)したときに「酷暑お見舞い申し上げます」と書いたら「本日こちらは39度です!」と返ってきました(涙)

★OPEN JAPN
https://www.facebook.com/OPEN-JAPAN-%E7%B7%8A%E6%80%A5%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88-1731359220455760/?__tn__=%2Cd%2CP-R&eid=ARCvw6LrelkdE6GTiJ6AkGVPjsqBhQq0MA2edzRNo_GwC5gI9LQM3rPxMX1tL8w-5hooGDbg43RPb7cf

DRTという団体があります。中越地震の時に生まれた「パワーシャベルなどの重機を使っての災害救援をする全国ネットワーク的団体」です。重大化する昨今の災害では欠かせない存在です。

代表世話人の黒澤さんのfacebookを見ていたら

「故郷を愛し、人を救ける。消防魂とは....夢を見ているようです」という投稿がありました。投稿された写真にはボランティアの重機とダンプカー、そしてどこかでみたような赤色のパワーシャベルが共同作業している景色です。これだけならふだんのDRTさんの現場と同じです。

赤いパワーシャベルのボディをよく見ると「人吉下球磨消防本部」の文字が。そしてコメントのやり取りの中で

「いやー、ほんとにすごいことですね」
「歴史に残る出来事ですね(^^)v」

DRT発足のきっかけになった中越地震が2004年。災害時の重機の導入を実践しながら訴え続けたDRTさん。大規模災害の頻発に各消防に重機が配備されるようになったのが十年以上かかって数年前です。

ところが土木工事の重機操作と、災害救援で求められる多彩な技術を駆使する重機操作は全然別物で消防にはそのノウハウがありません。重機が配備されたことは画期的ですが、ものはあっても使えません。

DRTさんは、災害救援時の重機操作の講習会をやり、消防士のみなさんは「自費で・自腹」で学びに来られていました。(一昨年大阪の茨木市で開催した時に私もお手伝いしました。帰り道で一緒になった男女は仙台から自腹で泊りがけで学びに来た消防士さんでした)

この熊本の現場が画期的だったのは、消防の重機とボランティアの重機が完全に連繋して活動していたことですね。中越地震から16年。官民一体の災害救援の景色が「歴史的」だったわけですね。それだけ被害が甚大で、消防の重機だけではとうてい片付かない状況だったからではと予想しています。(重機はあってもダンプはないし)

DRTさんは、そういう消防士も参加する重機講習などで、消防との繋がりが育ってきていたのでしょうね。熊本県内の消防士さんが「夜勤明け」その足で「ボランティア」として駆けつけてくれるそうです。年がら年中鍛えている消防士さんは、ボランティアになっても体力も耐熱も圧倒的にポテンシャル高いらしい。プロですね。

※  ※  ※

道場でも支援させてもらったレスキューアシスト熊本と坂本町で協働しているコミサポ広島さんのfacebookに「県内の高校生が来てくれました!」の投稿を見つけました。ある日は72人、翌日も30人以上。高校の名前が秀岳館高校。聞いたことがあるなと思ったら何年か前に甲子園にも出ていたみたいです。

学校のHPからfacebookに飛んでびっくりしました。ボランティア活動30日目とか32日目とか投稿されています。八代市(球磨川河口の都市)にあるこの高校、なんと「正式な学校行事として災害ボランティア」に取り組まれていたのです。

坂本町でレスキューアシストと一緒に活動する「コミサポ広島」の小玉代表のfacebook。17日、18日をご覧ください。

https://www.facebook.com/yukihiro.kodama.1

きっかけは発災三日目に生徒の一人が「先生!ボランティアに行きたい」と声を上げたこと。校長先生、そのほかの先生方に度胸があったんですね。7月7日から正式に学校行事としてやり、おそらく保護者の理解を得て、学業に影響しないような手を打ち、(ボランティアに行った日は参加者は学業が遅れないように補習をうけるとか)スクールバスで送迎して、8月5日段階でなんと4300人!!が活動しました。そこから10日以上ですね。5000人は超えているでしょうね。

https://www.facebook.com/syugakukan/

災害救援現場もけっこう高齢化しております。40代でもけっこう「若手」として扱われたりします。20代とかがくると私たちおっさんたちはとても喜びます。自分たちがいいと思っている活動が若い世代に継承されていくというのはもう、本能的な喜びです。

そして被災された方々。日本の田舎は圧倒的に高齢化しています。高校生ボランティアは孫の世代でしょう。孫みたいな世代が10人も20人もやってきて、絶望したくなるぐらい変わり果てた我が家がみるみるきれいになっていく。これはじいちゃん・ばあちゃんたちはもう、もう、もう、たまらない喜びですよ。書いているだけでも涙がでてくるわ。

彼ら彼女らの活動をまとめた新聞記事です。
ぜひご覧ください。

熊本のみなさん、県内の力で頑張っています。一日も早く県をまたいで応援に行けるようになってほしいと願うばかりです。