『しんぎたい』の『たい』は『対』でした

皮下チューニングから身体を考える【『しんぎたい』の『たい』は『対』でした】

お話しを「超遅速願望実現法 習慣化の技術」に戻します。

お話しのテーマは「何を習慣化するか」ということの優先順位みたいなものについてでした。それで「動ける身体 整った身体」から増やしていって、知識技能系を積み上げていくと次に何が来たかというお話しで結果的にお金でした、ということの一例で「たばこの吸ったつもりで貯金」が出てきたわけです。

それで「身・技・金」とまとめました。もじっている「心技体」に比べてなんとも露骨で格調が高くない。べたすぎます。成金みたいでいやだと講座でも言われました。私もそう思います。

それで自分自身の歩みをたどりなおしました。そうすると、やはり身技と来た後に、実際に増収につながるような行動の習慣化が出てきて、消えたのもありますが手ごたえを感じて継続できたものもあります。過去延々増収のためにみたいにやってきて続かなかったのに、身→技という展開で習慣化したことが積みあがった後の「金」は続いたのです。

身→技という展開で習慣化したことが積みあがった後の「金」は続いたというのが前回の結びでした。ただ少し角度を変えてみると、お金というばかりのことだけではありませんでした。私の場合は、講習会開催を決めて宣伝して開催しないと収入になりません。それで横浜ならT本さん、名古屋ならN口さん、四国ならM内さん、岡山ならN村さんなど地元の幹事みたいな方が会場探しとか手伝ってくださって開催に向けて話が進みます。

大々的にCMをしてという形態ではないので、各地の受講経験のある人や幹事役の人と日程の候補とか内容の希望とかの「対」話をして、それで前に進んでいきます。これが優先順位とか段取りとかがごちゃごちゃになって、気が付いたら時間切れで開催見送りみたいなことがたくさんあります。偉そうに「習慣化の技術」なんてタイトルで書いていますが、それはこの程度のことがしょっちゅう時間切れ見送りになるからです。

仕事のできる人が聞けば「何言うてんの、まず最初にこれして、次にこれして、念のためにこれしておくなんてイロハのイの字や、常識や当たり前や」ときっぱりと言われそうです。事実その通りですから、言われても仕方がないのです。でもできる人にとっての「当たり前」のことが何十年もできないのであれば、できるはずだと思うのではなく、それでもできないという事実を見る方を私は選んだということです。そんなへたれでもできる方法を探しているということです。

身と技に関しては、個人の中で完結するものが多かったのです。それが金にまつわるレベルになってくると、いろいろな人と相談や打ち合わせや連絡や打診みたいなことをやっていかないとうまくいかず、そのあたりが習慣化し始めたことはうまくいき始めたかもしれないという段階です。

また「お金」と言ったら露骨ですが「対価」と考えれば、それを追いかけるのは当然です。また上に書いたタバコの話では、ランニングの距離を日々伸ばしていったノウハウが、タバコの本数をじわじわ減らすノウハウと「対(つい)」になっています。問い合わせや申し込みへの対応みたいなことが遅れて、トラブったりチャンスを逃したりということもあります。習慣化によって「対応」をルーチン化するようなことも加わり始めました。

身と技で培ったノウハウがたまることで、過去と対比して、対価を得るだけのものを、対策したり対応したりする。うん、「対」だなあとなりました。習慣化の技術は「しんぎたい 身技対」で進んでいく。個人の「身」を整え、丈夫にして、他者とかかわるための知識や「技」能を深めていく。そうして他者と対面する、対話する、対価を受け取る、結果としてそういうふうに回りだしています。

 

ヘタレ脱出 習慣化の技術研究家
くらげ体操と皮下チューニング

津田啓史