【結果的に愛】
よく「困っている人を助けたくて」とか「患者さんの笑顔のために」素晴らしい技術を開発した人が紹介されますが、私の場合は違いますね。
マイクロストレッチは、クッションの骨盤への当て方が不適当で、毎回の授業で空気音をブリブリ鳴らす人がうっとうしいというのが発見のきっかけですし、一昨日のテーマ「自分流を抑制する方法」の中身は、何回教えても自己流に変えてしまう人に腹がたって、完膚なきまでに自分流を屈服させてやろうという思いからです。
自分流でうまくいかない人には、ついつい言葉数が多くなります。言葉をかけてメキメキ変われば言葉数は不要ですね。説明しても提案しても改善しないから、ますます言葉数が増えます。正しい方に来ないのでこちらからは相手を攻撃したみたいになり、相手の方は攻撃されたみたいになり、どちらも報われません。精神的に疲れます。
私は他人よりも自分の方が可愛いので、毎週毎週疲れるような繰り返しはさせたくありません。わが身可愛さで習う人の自己流の抑制法を開発したわけです。
まったく愛ではないですね。邪悪ですね。邪心ですね。自己中心ですね。明らかに不快感に満ち溢れる感情からスタートして、それを人が自分の芯と繋がれる方法に昇華させた私は、なかなか偉いですね。
邪心でスタートして、結果として愛。(笑)
くらげ体操を基本とすると、その応用形になるのが「マイクロストレッチ」です。体操指導で個々人が私の説明をご自分の立場や経験で解釈して「こういうものだろう」という想定の下に動いたのであれば、百花繚乱、一人一人違った体操になってしまいます。
ところがマイクロストレッチの場合は、意志や完成イメージを意図的に思い浮かべるというような要素を徹底的に入り込まないようにしてあります。講座の中ではうまくいき始めたころあいを「自動運転が入る(起動する)」と言っています。
見た目は「動的ストレッチ」です。ただ一般的な体操、動的なストレッチの動きの幅が3分の1以下ぐらいです。ほとんどストレッチしません。なのでマイクロの字を冠しました。自動運転が起動すると超遅速で動く人が多いです。
こうなるとどうなるかというと、講師である津田がほとんど不要になるのです。ハイレベルな無意識な自己調整を5分でも10分でも、止めなければ15分でもそれ以上でも延々続きます。
無我とか無心の境地なんて言葉があります。だいたいそういう言葉が一段高いところに額でかかるということは、みなさん相当にいつも頭の中が忙しいのです。だから困っている。部屋や倉庫が散らかるから「整理整頓」とか張り紙するのと同じですね。一部の隙もなく片付いている部屋に「整理整頓」って貼ったらめちゃくちゃ邪魔です。
無心という言葉に魅力を感じますが「無心になろう」としたって失敗します。「なろう」なんてのがないから「無」です。無にしようという前提にそもそも無理がある。風呂に入ったまま自分の手で自分の前にある水を邪魔だからどけようとしても、どけると同時に次の水が入りますから何も変わりません。
無心を追い求める心で、いったい何を無にしたいのかというと、ごちゃごちゃと忙しい心の方です。意識といっても思考といっても、そうそうはずれではないでしょう。無心になれればいいなあと感じるのは、頭が忙しい。
東京に一極集中すると地方が寂れるというのが起こります。頭が忙しいということは身体がさびれているわけです。だから忙しい頭だけを消そうと思っても消えません。身体の方の無意識的身体活動を無理なく活発にしてやれば、勝手に忙しい頭は落ち着きます。マイクロストレッチで「自動運転スイッチ」が入ったらそれが起こります。
LPCクッションの皮膚感覚を追いかけることができれば、それが容易に切り替えられるのです。といってもどんなことでも例外はあるでしょうから、そうならない人は一定数いるでしょうね。だから、合う人はさっさと自動運転スイッチ入れに来てください。
家族整体・生活整体の普及推進
習慣化の技術 超遅速願望実現法提唱
くらげ体操と皮下チューニング
津田啓史(ひろふみ)