記録なくして改善なし データ無くして成長なし
習慣化の技術「記録なくして改善なし データ無くして成長なし」
【習慣化するステップ】
〇継続したいこと、習慣化したいことを選んだら、数値化して、最短時間、最小単位から始めて、一定のルールで増やしていき、毎日記録する。
〇続けていくうちに中身・内容・やり方を目的に合ったものに変えていく。
〇何か一つが継続・習慣化に成功したら少しずつ種目・項目を増やす
〇身体(整える・鍛える)→技(技術や知識)→他者とのかかわりの順に進めていくのがよさそう
人間の記憶というものは、ずいぶんいい加減なものです。きちんと丸ごと保存される電磁的なデータとは違い、思いだすたびにぱっと作り直すようにできています。
あえて異は唱えておりませんが、母上様が誰かに私の高校時代の成績などを話す際の内容が、年々成績が上がり気味で話をするなどという様を見ていると、確かに思い出すたびに作り直しているというのを実感する次第です。
整体や講習がない日に、けっこう早起きしてたまったもろもろのお仕事を片付けていって、午後になり、夕方早い時間ぐらいにだれてきた時など、「あー、今日は大したことできなかった、だれてしまった一日だった」などという心情になるのです。前に書いたように最近は自分の行動がスマホのメモに逐一書き出すようなライフスタイルになっておりますので、見返すのが簡単です。
そうしますと、自分の印象とは違って、今日はけっこう手間のかかることを複数片付けた素晴らしい午前中だったというようなことが良くあります。
なので、「習慣化の技術」を進めるにあたって、記録をすることというのは非常に重要です。直近の自分の印象で全体を決めてしまうと、上がってもおかしくないモチベーションが上がらない。自分をほめてやれるシチュエーションでほめ損ねます。
今は習慣化に向けてのステップというものが生まれていますが、10年ぐらい前はまだ「記録するだけでも日々の行動は是正され、良くなりますよ」ということを説いていたことがあり、ある資格試験調整中の人が実行しました。
それで、その彼独自の方法として、行動だけでなく心情的なことも合わせて記録していきました。ある日のお昼前には朝から根を詰めて勉強をしていたのでしょう。「もう集中力は尽きた、これ以上の勉強は無理」と書いたそうです。それでのちにその日の記録を見返すと、「もう集中力は尽きた、これ以上の勉強は無理」と明記した数十分後に「図書館到着」と書いてあったそうです。
いつの間にかやる気が復活して、意気揚々と図書館に向かっていたというのです。人間いかにいい加減かということの一例です。だから「なんとなくの雰囲気」で決めるのはやめ、記録やデータを見ないと判断を間違えるということです。
都になる制度ではなく、大阪市を四つに分割するだけの話なのに「都構想」と言ってみたり、すでに解消していると言いながら「二重行政を止めて財源を生み出す」と言ってみたり、全国平均の成長率を下回っているのに「大阪の成長を止めるな」なんて言うのはきわめて気持ち悪いです。根拠がない。もとになるデータがない。ふわっとした雰囲気で決めるのは間違いのもとです。
日々のデータを記録して、それを毎日見ながら試行錯誤しながら、時には失敗しながら、じわじわじわじわ続けることで初めて成長していきます。しないことだって多いです。でもなんか「大きく変えるぞ」と勇ましいことを言ったらなんとなくよさそうな気がしますが、だいたい幻想です。大きく一気に変わるのは、見えていないところで変わるだけの材料が十分に積みあがっていた時でしょう。
私は凡人です。だからちまちまと記録を取らないととうてい上向けません。同じようにやっているつもり、という時はおおよそ劣化していきます。ちゃんと数値化して記録していくと、もうちょっとだけ上を目指せます。それを繰り返してじわじわと改善していけます。
マイクロストレッチは、低圧の空気枕が骨盤の位置や動きを瞬間瞬間データとしてフィードバックしてくれるから、とんでもなく身体が変わることができます。それは骨盤の動きという限定された部位の「今」だからです。
仕事そのほかはもっと複合しているし、視点も今だけでなく長期的なものになります。だから前はこうだったのが今こうなっている、というデータで動きを引き出す必要があるのです。習慣化の技術には記録は必須です。現在位置を知ることなく改善はありえません。
どんなに素晴らしい身体調整法・健康法でも
継続しなければ本当の効果には出会えないから
習慣化の技術 超遅速願望実現法
を提唱する整体体育研究家
津田啓史(ひろふみ)