国を元気にするお金の考え方 2

新大阪健康道場は、全国的新規陽性者数が増えている状況、特に大都市部での医療体制がひっ迫していることなどの状況を受けて、当面はいつまでという期限を定めないで休業ということにさせていただいています。

繰り返します。

今週の新規陽性者数は、クリスマスの週が終わり、年末年始のお正月休みの時期に感染した人の数字の反映です。宣言を出してもすぐに新規陽性者数は減りません。まだまだ増えても「予想通り」です。少しでも減れば万々歳です。それぐらいに覚悟して構えておきましょう。

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「国を元気にするお金の考え方 2」

お金っていうのは、とても不思議なものだとは思いませんか。紙幣なんていうのは原価19円の和紙です。それが人の上に君臨する人を生み出したり、生命を脅かしたりします。

それで、もともと紙幣というのは金貨の預かり証だったんです。つまりその預かり証を持っていけば金庫屋さんから金貨を引き出せる

いちいち金貨に戻してから支払いするよりも、預かり証そのものが流通するようになりました。そんな起源を持っています。その後の歴史的な変遷はまだ詳しく勉強していませんので、ここでは述べませんが、今は金貨と関係なしに生み出されています。(後日このあたりも書きます)

お金というのは、極端な話、使用可能な金額を明記したただの情報だということです。私の手元には、昨年地元で発行された「地域ささえ愛券」というのと「わかやま Go To Eat キャンペーン 食事券」というものも使い損ねて残っています。

さらに最近はペイペイとか交通カードなど、電子情報だけでも物の売買ができるようになっています。財布からお金を出さなくても機械にタッチすれば、電子情報に記載されている金額までは使えます。ますます情報になっています。つまり物としての貨幣が移動しなくても、金額の情報が電子的に移動するだけでも取引が可能になっているということです。

ということは、お金というものは、物質的な価値は原価19円の紙で、メモにも使えない程度の使い勝手の悪いものでそのものに値打ちはない。あるとしたら使う人の頭の中にあるということになります。情報ですから。約束事と言ってもいいかな。

昨年の5月に書いた話です。もう一度書きます。

4月上旬から道場を休業しました。またうち以外でも人が生活していくために必要不可欠でどうしても休めない職業以外の多くの人、お店などが休業していたわけです。当然のことながら収入はありません。収入はありませんが、家賃は支払わないといけないし、使っていなくても共益費は払わないといけない。それでこの家賃を支払わなかったら楽だろうなと思ったわけです。

そこからさらに飛躍して、私が家賃を支払わなかったら、大家さんや管理会社の人が困るのは分かる。でも世の中のすべての人もあらゆる支払いを免除されたら、結局は誰も困らないんじゃないかと、こう考えたわけです。

道場の入っているビルのオーナーの会社も、道場の入っているビルを買った時の借金の返済もストップ。管理会社も社員に給料は払わない。でも管理会社の社員の人の家のローンも電気も食費もすべて今までどおり必要なものは手に入れたり使ったりして、でも支払いは不要ということにすれば結局は誰も困らないんじゃないかと思ったのです。

何回考えても、だれも困らないのです。変わると言えば、世間にあるあらゆるものがほんの少し古びるというだけです。家賃があろうとなかろうと道場のあるビルは使用可能な状態で当分は存在し続けるということです。

どうですか?必要なあらゆる支払いを免除される代わりに、自分の受ける支払いも無しにする。まあ、ちょうど莫大なお金が入る予定だった人はがっかりでしょうし、巨額な費用を支払う期限だった人はラッキーというイレギュラーはあるでしょうけれども、すべての人が「今まで通りの暮らしを営む」という条件で、ものの動きも全く同じにすれば、だれも飢えない、倒産しない、首をくくらないでいい。違いますかね。

 

個人の整体を研究すると、国も整体が必要だと思わざるを得ない生活整体研究家

津田啓史