世の中のお金は全部誰かが借りたお金です

新大阪健康道場のブログで経済の話ばかり続いてごめんなさい。でもコロナ禍で、人の判断で経済を止めて、でも人の決断でたくさんの人が助かる。一介の体育の研究家が「もともとどういうことだったの」を本業のかたわら調べるだけでも、なんだ、国がお金を配ってもこの国が財政破綻するような仕組みにはなってないじゃん、ということが分かりました。

そしてそこを出し渋って、多くの個人・商店・企業を疲弊させて倒産させてしまう方が、これからの日本の危機になります。国の健康が壊れてしまいます。

これを書くために考え、調べます。それでますます政府がお金を刷って、倒れかけているところに配っても大丈夫だということがどんどん明瞭になりました。世の中の常識には、けっこう非常識や非科学的なことがまん延しています。

和の体育もとろける整体もその「世の中の常識とは違うけど、実際問題こちらの方がうまくいくやん」ということを提案しています。

もともとどういうものだったの、に立ち返るとこの国は明らかに間違った方向、国としても、個々の国民としても立ち行かなくなる方に行きかけています。国が国の健康を損ねるのを黙ってみていられません。

なのでもう数回は続きますが、ぜひ読んでみてご自分の頭でも考えてみてください。常識とは違う、テレビで池上彰さんが言っていることとは違っても、違うことは違うのです。

それを吐き出さないと、私の調子がおかしくなってしまいます。だから書かせてください。ぜひ読んでください。

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コロナ禍は日々の新規陽性者数だけではなく、検査数や流れのグラフなど総合的に見ないとわかりません。
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「世の中のお金は全部誰かが借りたお金です 」

とにかくテーマは一点です。国がお金を刷って困っているところに配りまくったらこの国は破綻するのか、それとも持ち直していくのか、というところです。

反対する意見は「国の借金をこれ以上増やすな」という、なんか一見正しそうな意見です。私も数年前まではそう思っていました。ところがそれは前提になっている「お金って何」という部分の解釈が変わると、まったく景色が違ってきます。

先週、銀行の融資の仕組みをお話ししました。
(下記文中の …続きを読む をclick!)

国を元気にするお金の考え方 7

銀行というところは、みなさんから預金を集めてそれを貸しだすことで、利子を載せて利益を得ているということは間違いでした、というお話しです。銀行というところは、元手がなくても、ちゃんとまっとうなことに使って、利益を上げて、返してくれそうなところを選ぶという条件付きで、銀行口座に預金額を書き込むだけなのです。

どこかの会社が1億円銀行から融資を受けると、それを引き出した会社は、工場を作ったり原料材料を仕入れたり、給料を払ったりして世の中に現金が出回ります。こうやって世の中にあるお金というものは、誰かが借りたお金が、回っていき、世の中が同時に回っているのです。

でもよく考えてください。借金というものは返さなければいけません。だからその会社が1億円に利子を付けた金額を銀行に返済し終えた時には、世の中から1億円以上のお金が消えてしまいます。お金が無くなってしまいます。

でも、世の中にはお金は無くなっていません。なぜでしょうか?それは、返済が終わったお金以上の金額のお金を誰かが、もしくはどこかの企業が借りているからです。つまり、景気がいい世の中というのは、活発に誰かが借金をしている世の中で、景気が悪い世の中というのは、多くの人や企業が借金に手が出せない世の中だということなのです。

いわゆる「借金=貧しさの象徴」というのと、まったく別の印象に変わりますね。

お金というものが出回ると、世の中は活発に動くことができます。借金することで工場を作り生産性を上げることができます。借金することで鉄道網や高速道路網を整備して、人や物の流通を効率化し、遠くにあるものを低コストで手に入れることもでき、離れたところどうしが活性化し合うこともできます。

ものも資源も技術も熱意のある人もいないところにお金が出回っても、お金はただの紙切れです。ところがある程度ものも資源も手当てが付き、生産加工するところもあり、それを推進する熱意と技術を持った人がいるところに、お金という便利なものを発行すると、その社会は実に活発に動き出し、ますます高品質なものを世の中に送り出すようになります。それが過去の日本です。

国が借金をすると、国は破綻するかという問題です。国にお金がない状態をシンプルに仮定してみたらどうなるでしょうか。
(つづく)

 

誰かの言説、世の中の常識を頭から否定もせず、かといってうのみにもしないで、一度自分でも調べてみる、考えてみる。それが楽しめる心身を作ること。それも整体です。

生活整体研究家

津田啓史