笑顔の研究 7
新大阪健康道場は、大阪府の緊急事態宣言を受けて、現在休業中です。
来週の火曜日あたりから実験的に開けてみて、3月ごろから以前のスケジュールに戻す予定にしています。
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「笑顔の研究 7」
笑顔の研究を進めましょう。
●泣き顔の筋肉配置も!
さらに見ていくと、「泣き顔」というのも笑顔と筋肉のポジションはほとんど同じでした。
にっこーと最大限に微笑んだ顔を作って、その表情筋運動に、ちょうど鼻の穴の奥あたりが、左右に機嫌よく広がろうとするほほ骨の筋肉を、鼻の方に引っ張り返すような部分的な小さな緊張を作ると、鼻の奥がツーンとして悲しい感情が引き出されてきます。
ほほの表情筋を横に広げながら鼻で引っ張り返すと、鼻の奥がツーンとして悲しい感情が湧きますと書きましたが、この「ほほの広がり」を入れないで鼻の奥だけツーンとしても「悲しい」はほんの少ししか出てきません。引っ張り合いが必須でした。
笑顔で気持ちよく広がっていくのがベースだとして、その広がった先に過緊張ポイントをいくつかくっつけると「苦痛に耐える顔」「必死な顔」になります。気持ちよく広がるのを引っ張り返すと泣き顔になります。
実に紙一重です。全体がバランスよく協力しているのが笑顔で、過緊張や引っ張り返しという「不自然」を少し混ぜると「耐える・頑張る」「泣く」という顔が生まれます。
笑顔の筋肉配置がベースになっているようにも思えます。
●怒るは筋肉の配置が全然違う
ところが、いろんな顔をやっていると、「怒る」という表情をやってみた時には、笑顔がまったくベースになっていませんでした。
何が違うのかな、と何度もやり比べました。
結局「笑顔」「がんばる」「泣く」というのは、自発的な内発的な感じなんです。中から生まれてくる感じです。ところが「怒る」の時というのは、明らかに内発的ではない。相手を威嚇するような外発的というのでしょうか、そういう「相手用に作られたもの」という感じが色濃いです。
この一連の笑顔についての考察の動機というものは、「笑顔という特別ないいもの」というニュアンスで取り上げてきています。でも実は違うのではないかという感覚が背景にありました。
●自発性について
野口晴哉先生の書かれたものを読ませていただくと、とにかく「自発的なもの」を重視されます。活元運動という無意識反射的な自発運動を根幹にされた野口整体ですから、当たり前とも言えます。ただ自律調整法としての活元運動(自発動)ではなく、生き方生き様そのものにも自発性の発露を何より大事にされていたということですね。一貫されています。
それで1968年、昭和43年に初版が発行された「整体入門」の中に「最近の人は心から笑うこともできない、泣くこともできない、腰が抜けている」と書かれています。(現在ちくま文庫版が手に入ります)
このころって、大阪万博の2~3年前で、高度成長期で日本全体がすごく活気があったころです。そのころの人でも、えへへへとごまかしたような笑いしかできないと言われているのです。自然な感情の発露もできないというのでは、人間が人形に近づいたと言わざるを得ない、という指摘をされているのです。令和の日本を見たらどう思われたでしょう。
(つづく)
「もともとそうなっていた」に戻ること。
それも整体の目指しものです。
生活整体研究家
津田啓史