自己実現の技術 なりたい自分になる方法

新大阪健康道場は、3月から以前のスケジュールに戻しますが、東京名古屋松山などは新規陽性者数の推移を見ながら進めていきます。企画しても開催できないこともありますことをご容赦ください。

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「自己実現の技術 なりたい自分になる方法」

今日からしばらくの間「自己実現の技術 なりたい自分になる方法(仮題)」という話をしていきたいと思います。

 

●そもそも、自己実現ってなんだ

もちろん津田啓史が語る「自己実現の技術」ですから、大金持ちになるとかビジネスで大成功するとかそういう話でないのはご理解いただけるかと思います。(そもそも書き手そのものが大金持ちになってないし)

実はこの連載には下心がありまして、「自己実現の技術」という名前の有料メールセミナーを始めようというプランがあって、その準備が着々と進んでいるので、その広告宣伝になるようにという下心満々です。

もちろん、読者の方から料金をいただいて配信しようと思えるようになっただけの事は自分自身に起こりましたから、黙っていられなくなって、この企画を立ち上げたということが背景にあります。

では一体どういうことが起こったかって言うのを、これが1番わかりやすいかなという私の実感で説明させていただきます。

それは今、私が受験生あるいは浪人生だったら、ものすごく楽しく受験勉強しながら、毎月少しずつ難易度の高い大学が受験できるかもしれないという具合にじわじわ成績が上がっていくような、そんな毎日だろうなというような日々を送れているということなんです。これでわかりますかね。

勉強に集中することそのものに苦労がいらず、昨日解けなかった問題が今日は解けるようになる、昨日分からなかったことが今日は理解できるようになる。そうやって勉強そのものが楽しくなりつつ、少しずつ結果がついてくる、というそういう生活サイクルのことを言っております。

 

●なりたい自分を知る方法

「自己実現」というふうに書いて、じゃあいったい自己実現って何なんだと考えてもすらすらと答えが出てこないんじゃないかと思います。つまり「こんな自分になりたい」という質問ですね。どうでしょうか?

これがすらすらと答えられる人は、逆に既に結構「自己実現度合い」が高い人じゃないかと思います。だからぱっと出なくてもそんなもんです。

私だって突然誰かに面と向かって「どんな自分になりたいですか」と聞かれたらすらすらと答える自信はありません。

ここで、「和の体育」の考え方、「あらゆることを陰と陽の両面から見てみよう」という物差しを当てて考えてみます。なりたい自分というのは、まだなってませんからなかなか正確に想定するのが難しい。

ところがひっくり返して「こんな自分が嫌だ」という質問は、日頃自分がうんざりしている自分なので、結構簡単に出してくることができます。だとしたら、なりたい自分というのはその「こんな私は嫌だ」と感じている部分をひっくり返せば、極めて実態に沿ったリアルな「なりたい自分だ」ということになります。

皆さんそれぞれでいろいろな「自分にうんざり」があると思いますが、おしなべて言うなら「やったほうがいいことを先延ばしにして手がつかない」「やらんでいいこと、やらん方がいい事はついついやってしまって、ダラダラと時間を過ごしたり、何かのトラブルを招いたりしてしまう」という表現にすれば、どなたにも当てはまるのではないでしょうか。

 

●割合の逆転をめざせばいい

だからここで言う「自己実現の技術」というのは「やったほうがいいことや、どのみちやらなければならなくなる事はさっさとやってしまえる自分」になるということで、加えて「する必要のないことや、やらない方がいい事はやらない自分」になると書けば、この定義で反対される方はおられないと思います。

もちろん完全になりきるというのは無理ですから、「割合の問題」として受け取ってください。つまり「やったほうがいいことをやる度合いが増えて、やらんほうがいいことをやる度合いが減る」ということです。この度合い、両者の割合が逆転して後者の割合が増えれば増えるほど、「なりたい自分に近づけている」つまり「自己実現ができてきている」と言えるわけです。(つづく)

 

進化体操と和の体育

津田啓史

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もともとそうなっていたに戻ること、もともとそうなっていたように使うこと。
それも整体の目指すものです。

生活整体研究家

津田啓史