東日本大震災でのボランティア活動記録 5月7日 牡鹿(おしか)の浜で
緊急事態宣言の発出を受け、5月11日までは休業を決定し、現状ではさらに延長もやむをえないと考えています。理由は、大阪府の医療体制のひっ迫具合です。
今日も、3月末に引き続き、10年前の東日本大震災でのボランティア活動記録の5月7日分を転載します。
出版して世の中の多くの人に知っていただこうと新書版一冊分を一か月で書いて、結局出版はできなかった記録です。長いですが、お読みいただければ幸いです。
文章は2011年5月GW明けから6月にかけて書かれたものです。
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『5月7日 牡鹿(おしか)の浜で』
3・11からもうすぐ震災後2ヶ月を迎えようとする5月7日午後。筆者の2期30日に渡る活動の最終日、東北地方で一番海側に突き出た半島、宮城県石巻市牡鹿半島の大原浜の集会所で整体をしていた。
集会所の前庭から、そこだけはがれきをどけた道路を挟んで海岸まで、まともに住める形の家屋は皆無。漁具やブイ、ロープなども混じったがれきが続く。海岸沿いの唯一の道路のがれきが取り除かれるまでは、集落はすべて陸の孤島となるしかなかったことが実感として分かった。
集会所の目の前には、実直なサラリーマン顔ののんちゃんが、マスク・長靴・防寒コートに作業ベストとすっかり「現場スタイル」で、前庭(実は公園だったらしいが、がれきに埋もれてわからない)でがれき撤去をしているユンボ(パワーシャベル)を小気味よく誘導・警備している。運転しているのはボランティアか地元の人か。
集会所内では、埼玉の美容師・テンガロンハットのえびちゃんがヘアーカットをしている。午後からは休みなしで切り続けている。その隣では極真空手マンで指導員、かつステンレスの研磨職人の前川ごーちゃんが、持参の折り畳み式整体用ベッドで経絡マッサージの整体中。
ほとんどボランティアが入らなかったこの地域も、この集会所がボランティアの宿泊に使えるようになり、数日前から集会所詰めのお泊まりボランティアの女の子もいるようになった。
さきほどまで配給物資置き場になっていた入り口側の長机には、作業終了の時間を見計らって3時配給の炊き出しの親子丼が、腹を空かせた私たち整体・美容師連合チームを待っている。作ったのは、プロの炊き出し屋さん・池田さん&くりちゃんの「東山食堂」メンバー。それをヘルプしているのは、長岡技術工科大学の5人組だ。中越地震以来、災害救援にかけつける伝統のある大学らしい。
ふだん包丁など握ったことがあるのかなという5人は、お昼前には集会所前の山の水をパイプで引いた水場で、一所懸命鶏もも肉やトリモツと格闘していた。彼らだけで炊き出しをするのは不可能(たぶん)だが、技術があり段取りが頭に入っているくりちゃんと組むことで戦力になっている。
午前の移動中に通った給分浜では、NPOのRQさん募集のボランティアチームが、がれきを片づけながら地元の人が自前で建てる仮設住宅用に使えそうな板や柱を集めていた。使用する大工道具は、ただいま全国から支援物資として受付中だ。(6月現在募集は終了)
道路から見下ろす小渕浜では、漁師さんと学生ボランティアが共同で漁具回収しているのが道の上から見えた。確か防衛大学の学生だったんじゃなかったかな。
今日は複数の浜で作業が同時進行しているからか、進行状況確認のためか風のように財団ワゴンで走り回っていた黒沢親分とすれ違った狐崎浜では、大工の山本さんが、流され残った家の一階の床板を張り替えている最中だった。床下には石灰が白く撒いてあった。
狐崎浜にはチェーンソーアートの名人、石巻市内の流出自動車をクレーンのついた車(ユニック車)で吊り上げては移動させているユニック鈴木さんが、漁師さんの前でまたたくまに彫り上げて拍手喝采されたキツネの木工彫刻が飾られているところだ。
途中の小網倉浜には、漁師さんの掲げた大漁旗と、ボランティアの揚げた鯉のぼりが風にはためいている。
助さん(吉村さん)も、さっきまで集会所前で何かの作業打ち合わせ中で、さらには市の中心部から遠い被災地=救援作業現場まで足を運んで、ちゃんと実状を長時間かけて現場を見ている珍しい国会議員さんの応対もしていた。
この津波でやられた小さな浜と小さな集落が続く牡鹿半島には、この後数日で四万十川・釧路川のカヌーガイドたち、とーるさん、たくみ君、がってんさんたちがカヌーを持って駆けつけ、スクリューに牡蛎養殖のロープがからまるので出せない漁船に変わって、漁港の海面清掃・浮遊がれき撤去が始まるのだった。カヌー操作技術のない人は、牡蛎養殖のブイで作ったいかだ=がれき搬送船「復興丸」で参加したらしい。
これが震災2ヶ月後の、石巻のボランティアを中心にした現場の様子だ。読んでお分かりのように、数多くの一般ボランティアの中に、さまざまな本職を活かしたボランティアが入って、さまざまなニーズに対応し始めている。
生活のすべてが流された地域が膨大に広がる今回の災害では、生活復興のためにはあらゆるきめ細かくて意表をついた支援が必要だ。それは残念ながら都会でテレビを見ていたのではなかなか分からない。
一人でも多くの方に、一刻も早く被災地に入ってほしい。そうすると、少しずつでも復興は進むだろう。しかし進むほどに、人海戦術だけではなんともならない多様なニーズに対応することが必要になってくる。
だからいろいろなプロ=本職のボランティアが必要だ。何年、何十年やってきたお仕事を現場の状況に合わせて対応できるようにして、また継続できるように助けあっていくことが必要だ。
人海戦術が不要だと言っているのではない。時間のある人はそれを活かして、体力のある人は体力を活かしていけばいい。現場では個人の力は無力だ。しかし、つながりあうことであなたの特技・特性が生かせる。その活動の核として本職の人は不可欠だ。
あなたが行くことで、被災地に一つ笑顔が増えるかもしれない。あなたにとって慣れ親しんだその仕事が広がれば、何千人の人を楽にする大きな木に育つかもしれない。
被災地での整体ボランティアの活動をきっかけに知った、石巻でのさまざまな本職のボランティア活動をできる限りご紹介したい。しかし、誤解して頂きたくないのは、ものすごくすばらしい活動だと感動したそれらの活動は、石巻でさえ十分に行き渡っているわけではない。ましてや、他の地域ではさらに手薄だということだ。現地ではまだまだあなたの力を必要としているのです。(つづく)
生活整体研究家
進化体操と和の体育
津田啓史 拝