野口整体創始者・野口晴哉師 幻のコロナ対策(前編)
野口整体創始者の野口晴哉先生が生きておられたら、今頃はコロナ患者大歓迎でせっせと施術されていただろう技術についての記述を見つけました。(整体協会機関紙より引用 2020年月間全生5月号より)
これは、野口先生が昭和51年に画家の中川一政さんとの対談で語られていた内容です。
「土地のもたらすものがありますね。病気も土地によって違うんです。病気は全部土地のもの、地方的なものだというように考えています。
大正8年から11年頃にかけて、鎖骨窩を押さえると治るスペイン風邪というやつがあった。驚くほど簡単に治るのです。そういう風邪を待っているのに、その後一回もはやらない。講習の度に、ここが硬くなったらここに愉氣しろと教えておいたんですが・・・。
協会ではまだスペイン風邪はないんですけれども、他所では、また、風邪で死ぬのまで出てきました。肺炎になるんです。これをじっと押さえていると、簡単に経過しちゃうんです。五十年待ってましたよ。」
「どこですか?」
「鎖骨がありますでしょう。鎖骨の凹み(くぼみ)のどちらか硬いほうをじっと押さえているとなくなっちゃうんです。今の肺炎で呼吸が苦しいとか、心臓が悪いとかいう系統の変化はここが縮んでいるんです。今多いです。」
「これをどれぐらい押しているんですか」
「1~2分でいいでしょう。脈がドッドッと打ったらちょっと弛め、キンとなったらちょっと押さえる。脈に応じて押さえているんです。5分もたてば普通になります。硬いのは弛みます。弛めばいいんです。」
補足します。野口先生は明治44年の生まれです。
野口先生がまだ子どもだった時の関東大震災の後の焼け跡で、腹をこわす人に手を当てたらみんな治っていったというのが整体的な力が発現されたのが最初で、それが12歳の時でした。だからスペイン風邪(インフルエンザの一種だった。世界での死者が2000万~4000万人と推定されている)が世界的に大流行していた時はまだ八つとか九つなので、これは直接の体験ではないことが分かります。
全国の有名な療術師を集めて優れた技術を共有していこうという会の会長をされていた時期があるので、そういう交流の中で本当に力のある治療師の人の体験を聞かれて、それ以後またパンデミックが起こる時を50年待たれていたのかなと想像します。
それで昭和51年ごろに、肺炎になって死ぬ人が出る風邪が流行っていたので、それを実行したお弟子さんなのか誰かからの情報で「肺炎になる風邪に鎖骨窩が効きました!」みたいなことがあったのでしょうか?調べてみても昭和51年頃に肺炎になる風邪が流行ったという記録は見つけられませんでしたので、何の病気のことを話されているかはわかりません。
その年に流行ったインフルエンザで肺炎になった人がそこそこいる、というような話だったのかもしれませんね。ただ思い込みの理論で軽々しく効くというようなことは言われない方でした。
恥骨を押さえると皮膚病が治るという現象があり、前記した「日本療術師会」で本当に効果のある技術は共有していこうというものの候補になったそうです。
ですが野口先生は「恥骨と皮膚に何の因果関係があるかわからないから、みなで検討する対象に入れるのは僕はいやだった」と書かれています。でも、返ってくる報告がほとんど「効果がありました」というものだったのでいやいや入れた(笑)んだそうです。そういうスタンスの方です。
野口先生は洞察力、観察力、記憶力など超人的だったようです。「〇〇の病気の人2835人のうち1453人にこれこれの特徴があった」というようなことをさらりと述べられていたりします。頭の中に全員のカルテが入っているような超人だったのですね。
だから効かないものを効くはずだ、効くだろうというような発言はされなかったと思います。(続く)
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【最新動画紹介】
今回紹介の動画は、メンタリストのDaiGoさんのyoutube動画の「コロナ後に成功する計画の立て方」動画を下敷きに、理解はできるけれども実行はなかなか難しかったりするその「方法」を、身体から「いい自分」を引き出すことで組み立てられている「和の体育」の発想で取り組んだらうまくいったぞ、という話の前編です。
『メンタリストDaiGoさんの【コロナ後に成功する計画の立て方】を、こうやると実行できた』