㊱整体武術

一方で打撲というものに対しては、身体の成長速度や変化していく予定とまったく無関係に身体に影響を及ぼすから、その影響は強く、警戒すべきである」という見解をとっています。

片方で「打撲は怖い、警戒せよ、急けるべきだ、自衛せよ」ということを学び説きながら、武術練習では、お互いに殴りあってせっせと打撲しているわけです。そういう矛盾と行き当ってしまった。

この先の説明はこれもご本人ではないので、いささかずれてしまう可能性もありますが、そこは割り引いて読んでください。

武術練習の際に、たとえば投げ技、崩し技の練習。殴り合いではなくて、柔道や合気道の系統の技の練習をしているときです。相手の気の欠けた部分に手を当てて崩すと、相手は簡単に崩れる。そういう原理・現象をみつけてせっせと練習されていたわけです。

それで気の欠けた方が、崩されて投げられます。受け身を取って起きてきます。こういう場面、技をかけられて受け身を取って起きてくるという場面は、柔道場だろうと合気道だろうと柔術だろうと同じです。

外観は同じですが、そこに整体が加わった河野先生は違った。気の欠けたところを使って崩された人が、整体的にどうなったかを調べたわけです。そうすると起きてきたら気の欠けたところに気が満ちてちゃんと整っているじゃないか、ということを見つけられたのです。

そうか、武術というのは壊すという視点で相手を壊していく武術もできるけれども、気の欠けたところに気を満たして整えていく、そういう視点でも可能なんだ。相手を壊すのではなく相手の整える武術をやればいいんだ。整った体にする武術だ。整体武術をやっていこう。というような経緯をへて、整体武術家、河野智聖となられたわけです。