㊵思うだけと実際にやるとの違い
まあ、びっくりしました。紙一枚の隙間をあけた「つもり」というのと、実際に紙をはさんでそれを引き抜いた後の手の感触の違いです。
これは裏を取った話ではありませんが、野口晴哉先生ご自身でも、紙をはさんで引き抜くということはされていなかったのではなかと思います。とにかく、つもりと実際には想像できないぐらい差があったのです。
ここではその「結果」に驚いたことをまず書いていますが、本当に驚いたのは発想の方です。紙一枚の隙間をあけるようなつもりで、というノウハウを知っている人は数あれど、実際に紙をはさんで引き抜くということをやった人はいったいどれだけいるでしょうか?
とにかく「実際にやる」ということが大事なのだなあということを痛感したのでした。
ここでまた一つ思い出したことがあるので脱線なんですが書きます。河野先生とも中学高校の同級生の丸尾君という友人がいます。今Gフォレスタという劇団を主宰していて、劇団員は何人も整体を受けに来られていて、また本公演を見に行くことができた時には楽屋に「楽屋整体見舞いに行く」というような関係が今でも続いています。
丸尾君+10数人ぐらい、中学高校と何かあったらつるんで遊ぶという一連のグループがありました。そして中学二年ぐらいから、大みそかの夜に丸尾君の家に集まって六甲連山の西宮にポコッと出ている標高300数十メートルの低山、かぶと山に「初日の出を見に行く」という恒例行事がありました。
最初は自転車で行っていたのですが、中3の時には、今は北海道の別海町で牧場をやっている林君と私の二人だけは、往復をランニングで行く、ということもやりました。薄手の長袖Tシャツで走り、走ることそのものは、自転車の連中がゆっくり走ってくれるので、往復20キロぐらいかな、疲労は大したことはなかったのですが、山頂についてから数時間日の出を待つ間が死ぬほど(笑)寒かったのを覚えています。
また別の年は、日の出を待っていたら、眼下に見下ろす阪神競馬場の近くから白い煙が立ち上り、みるみる大きくなっていき、火事だとわかりました。このころは人の不幸を想像する感受性もなく「初日の出を見に来て、初火の手やんけ」などと不謹慎なジョークを飛ばしていたのも思い出しました。
翌年は、もう走るのを辞めましたが(笑)、今度は新馬場君というメンバーがローラースケートで往復しました。平地はいいのですが、舗装道路といえ山に登る斜面をローラースケートで上り下りするのは上りは上がらず、下りは速度が出すぎると今思えば想像できるのですが、その当時は人のことなど心配するような感性はありませんから、苦労しているのを横目で見てただげらげら笑っていただけでした。