才能・素質を見つけるほんとの「裏技」 その2

【才能・素質を見つけるほんとの「裏技」 その2】

私が日々研究し、深めているもの、またそのエネルギーになっているものことは実は「大好き」なものではなく、「嫌だ」「無理だ」「納得いかない」ものなのである。

やりたかったフィールドで活動をしているのは事実である。しかしながらその中身は、納得いかなかったこと、不満だったこと、不平に思っていたことをひたすら埋めているのである。好きなことをエンジョイしているのとは全然違ったのである。

この考察の発端になった記憶は、自分の高校時代の不満や疑問、納得のいかない数々の回想である。なぜこの数学の先生は、平均点が40点にも行かないテストを作って、つまりそれが解ける生徒を生み出さないで給料をもらってへらへらしているのだろう。教師というのは、数学がちんぷんかんぷんな私が解けるように教え導くのが仕事ではないのか。授業でやったことから数段難しい「授業以外でさらに勉強しないとさっぱり解けない問題」を出すって、それあんたの授業そもののには値打ちがないちゅうことちゃうんかい。

そもそも数学への愛情が全く感じられないのはなんでやねん。数学が好きやから教師になったんちゃうんか。数学への愛を語れよ。面白さを説けよ。というようないささか偏狭ではあるものの、そういう不満をひと様よりもずっと強く感じていたのである。

武道の達人で例を挙げると、達人は「すべては型の中に答えがある」とおっしゃる。それは事実だけど事実ではない。すべては型の中に答えがあるのであれば、型を学ぶすべての修行者があなたのようになっていなければおかしい。

実態は、10万人の修行者が型の中から達人になる回路を掘り出せずに頓珍漢なことをやっているにも関わらず、唯一あなただけは型の中から達人になる回路を見つけることができた、という方が実態に近いではありませんか。

ということは、外見はその武道の型をやっているように見えて、その方だけは内面ないし見えない部分で、全く別のことをやっているということになる。その見えない部分は何かということに手を付けない限り、達人山のふもとにも行けないということになる。

達人がいてくださらなかったら、その高見があることもわからないのでありがたいけれど、達人が語る日本語は、同じ単語でもまったく別の意味のことを指しているということから身構えて取り組まなければならないのである。それで3年とか5年とかあーでおもない、こーでもないと試行錯誤していると、ふっと達人の言われる一行の意味が「あ、たぶんこれが登山口かもしれない」というようなことが見つかったりするのである。

だから私はもう不平不満が満々なのである。頼むから凡人と同じ日本語を使わないでくれ、誤解するだけだから、というような。

と、長々と書いてきたけれど、これらは16歳の高校生を前に講義した内容で自分で整理がついて感動した話でした。

大人はよく「自分に向いていること、やりたいことを探して目標として励むべし」という文脈で語る。しかしながら幼稚園児がケーキ屋さんになりたいとか、電車の運転士になりたいとかいうのを考えるならば、知っている職業しか浮かばないのである。そこに本当に腹を突き動かすものがあるだろうか。

高校生諸君、あなたがもう寝ても覚めてもそのことばかり考えてしまうような「やりたいこと」が見つかっているのであれば、実に幸いなことなのでそれをそのまま進めばよかろうと思う。しかしながら自分が何に向いているのか、何がしたいのかさっぱりわからないという場合は、他人はさっぱり問題にしないのに、自分だけはどうも気になる、問題と感じる、不満に思う、うっとうしいわ、いやだわというようなものに着目してみてはいかがかと思う。

なぜならそこに問題を感じるからこそ、解決策改善策次善の策を追及することができる。それが少しずつ見つかっていくのは楽しい。

不満とは満ちていないということである。欠けているのである。薄い、足りないのである。不足というのはとてもエネルギーを持っている。台風は空気圧の不足である。ものすごいエネルギーである。

ただ誤解してはいけないのは、その不足を相手に向けるとただのトラブルメーカーである。その不足感をひたすら自分側で埋めようとする。あなたしか感じない違和感や不足感は、あなたの才能のある場所かもしれないのである。

というようなことをもうちょっと雑に高校生に話し、なんていい話なんだと自分に勇気づけられたので丁寧に書き直してみた津田啓史なのでありました。

というようなエッセイみたいなものも、世に出回る中には本当に面白いものもたくさんあるけれど、著名人でもぜんぜんおもしろくないものもたくさんある。こんなレベルで原稿料たくさんもらうなよ、という不満が欠かせているのかもしれない。

コロナのことを書いているのだって、テレビで専門家の知見を集めたりたくさんのスタッフに取材させる力があるんやったら、もう少しましな報道しろよという不満で書いているのかもしれない。たぶんそうだ。という津田の文はなんて薄っぺらでつまらないんだと思う人は、物書きの才能があるかもしれない。おめでとうございます。

 

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津田啓史(ひろふみ)