最弱プランニング誕生

「最弱プランニング誕生」

自分が病床で横たわっているような「超非力」な状態でイメージで浮かんできた「うまくいく」イメージをもう少し説明します。

その後の頭の中の変遷です。その「謎の仕事人」がまたたくまにさくさくと進めてくれたことは、確かに私がやれば中座し、挫折し、迷走して何年かかるかわからないのですが、「私」でない「それに長けた人が手掛ければありえないことではない、実現しないことではない」と思ったのです。

だとすれば、私がこれからやっていけばいいことは、その謎の仕事人が聞き出してくれた「私がやれることでやりたいこと」を成り立たせるしくみを組み立てることができる人を探して、その人が私の意図を理解できるように伝えられるようにすればいいんだ、ということでした。

そんな物差しができたので、自分の仕事ぶりを「謎の仕事人目線」で見てみました。すると何が分かったか。それは「誰かに分担をお願いし、仕事を依頼できるレベルには整理できていなかった」ということでした。

逆に言えば、人に伝えられるところまで整理できてないから自分でもやれない。それができたら、時間がかかっても自分でできる。基本的には自分でやるにしても、運よく任せられる人が出てきたらお願いすればいい。

ややこしかったですか?

つまり「自分の中だけでどうこう考えても挫折・中断・先細り」のパターンを繰り返す。そこでそれを一度「ものすごく仕事のできる人に丸投げしたとして、その人ならやりそうなプランにして投げ返してもらう」。

投げ返してもらったプランを、今度は自分に説明して実行に移す。手伝ってもらえそうな人がいればお願いする。

ここまですぐに整理できたわけではないのですが、かいつまんで言うとそういうことです。

自分の中で悶々しても変われない。だから「そこに他者を介入させてその中でもっといいものを探そう作戦」です。これって結局「和の体育」の自他の関係性の中で最適なものを探そうという立ち位置そのものだったのでした。

なんとまあ、提唱者がそれをやれておらず、そして提唱者がその概念で救われたということですね。まだ手を付けたところですけど。

自分の非力を認めるのに、マイクロストレッチの「最弱を追及していくと、もっとも力が出せる方法が現れる」が後押しをしてくれたということですね。まだ手を付けたところですが、ちょっと今までとは違う角度で進めていけそうな気になってきました。

 

生活整体研究家

津田啓史 拝