週刊 お金と国の健康の話
新大阪健康道場は、大阪府の緊急事態宣言を受けて、現在休業中です。もうそろそろ再開できそうだと思いながらも揺れ動いております。
来週ぐらいから、全面的でなくても再開していきたいと思っています。
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「週刊 お金と国の健康の話」
お金と国の話にまた戻ります。もともと整体の道を志した背景には、あってもなくてもいい仕事よりは、あった方がいい仕事につきたいなと思い、この道に進んだというのがあります。
それで大雑把にくくれば「健康」というものを提供することで生きていこうということになりました。
「快適に毎日生活できる心身・生活」への助力とアドバイスと提案ということになるでしょうか。
自分自身が阪神淡路大震災で被災した時に、ほとんど何も救援活動できなかったという「トラウマ」から、できる範囲で災害救援の現場にも出入りするようになりました。
もちろん喜ばれることが圧倒的に多いです。
ですが、そういう現場というのは、「快適な毎日」以前に「最低限の暮らし」「生存」というようなシビアな問題が突き付けられています。
人はある程度以上の余裕のある生活が成り立っていないと、整体的な快適さも成り立たないよなーという事実が突き付けられます。社会というものが一定程度豊かでないと、私の仕事は成り立たないのです。
そして、災害救援活動でも突き詰めればお金の問題です。お金さえあれば、かなりの問題が解決できます。それは防災も、減災も、復興も同じです。
それでお金の話を突き詰めていくと、国、政治、経済というものに突き当たります。そして、それはどうにもならない問題ではない、人が決断して舵を切ればなんとかなる問題なんだということがこの1年でわかってきたので、それを書かずにはおられないということで書いています。
話は1年前に戻ります。最初の緊急事態宣言で、休業にはいりました。収入はありませんが、家賃は出ていきます。この家賃だけでもなしですんだらいいのにな、と思ったのが出発点です。
でも家賃を払わないと、管理会社や大家さんの会社が困ります。でも、その管理会社の社員の給料や、大家さんがビルの購入資金の借金の返済もしないでいい、ということならそれは困らないわね、となりました。
その「支払い免除サイクル」をずっと続けて、この緊急事態の間中に、生活はそのままで(必要なものは購入できて)ただし、すべての人がすべての支払いをしないでいい、ということにしたら、社会は壊れるのだろうかと思いました。
そうすると、生活に必要なものの生産や輸送さえ続けられていれば、だれも死なない、ものも壊れない、という結論になりました。びっくりでした。お金がないと何もできないはずの世の中で、お金が移動しない生活を想定したら、何も棄損しないのです。(もちろん、未来永劫ということではありませんが一か月や二カ月ぐらいなら、大丈夫だということです)
それで1年間考えたり調べたりした結果、なんで日本はすべての支払いを止めてもつぶれないかということの答えがでました。それは今の日本には分厚い供給力があるからでした。
資源があまりないということは別途考えるとして、基本的に人が生活していくために必要なものを作って、運んで、販売(配布)する仕組みがちゃんと整っている。だから誰も死なない。
それを支える人も、諸外国よりも勤勉でいいものを作ろう、いいサービスを提供しようという人も多い。
お金が流通しなくても、だれも死なないのだとしたら、お金というのはいったい何のためにあるのだろう、どういう働きをしているのだろうといことが次の疑問になりました。お金というものがあることで、人の活動が活発になるんだ、というのが自分の中で出した答えです。この続きは来週を予定しています。じわじわと書いていきます。
とにかく、「国の借金がすごい 子孫にツケを回すな」という言い回しはかなり嘘が含まれています。
なんか国に借金しかないみたいですが、国の保有している財産もあれば何かに投資しているお金もあれば、貸し出しているお金もあります。相殺すれば借金と言われているものは半分ぐらい消えます。借金を言うなら資産も言わないと片手落ちです。
「国は借金まみれで破綻しかけている」という前提を盲信しているから、弱者を救済するのにもお金がかかる、限界があるという考え方になってしまいます。そのあたりの基準が全然違うということです。ではまた来週!
生活整体研究家
津田啓史