災害の復旧復興に税金をつかうと国は行き詰るのか?

新大阪健康道場は、大阪府の緊急事態宣言を受けて、現在休業中です。

来週の火曜日あたりから実験的に開けてみて、3月ごろから以前のスケジュールに戻す予定にしています。

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「災害の復旧復興に税金をつかうと国は行き詰るのか?」

話は災害と国とお金に戻ります。

 

●お金ってなんだろう

お金というものが何なのかということを明らかにしたいと思います。まずは「お金がなければ何にもできない」という前提で世の中が動いています。ひっくり返せば「お金があればたいていのことはできる」ということにもなります。

そこでお金がなかったら、本当に世の中の誰もが活動停止して、生きていけなくなるのかということを考えました。

そうすると結論は「お金がなくても、水と食料、資源、生産できる施設や工場、それを運用できる技術と人、またものを人の手元までとどける道路や車などの仕組み」などの「もの」と「人」が完備していれば、別にお金がなくても誰も死なないじゃん、という結論になりました。「供給力があればその国は大丈夫」ということになります。

つまり、国=政府=公=自治体など というのは、それがあることで国の供給力というものが保たれるために役立てるためにあるべきだということが導き出されます。一応これも覚えておいてください。

それで、供給力が保たれている世の中があれば、それでいいのかなということからお金のことを考えます。今はそういう世の中ではないので、あくまでも頭の中での想像です。働かないでも食べていける世の中と言ってもいいかもしれませんね。

 

●ものはあってもお金がないと想定すると

そうなるとどうなるでしょう。

働かないでも、なんでも手に入るとなると、人の欲求がだんだん高まりそうです。もっといいものを食べ、もっといいものを大量に欲しがりそうな気がします。

働かないでもなんでも手に入るとすると、だんだんと人は働かなくなるような気がします。きつい、しんどいけど、ここで頑張らないと子どもを大学に行かせてやれないとか、家賃が払えないみたいなことは実際に世の中の労働を支えていると思います。

人が欲しがるものは増えるけれども、人は働かなくなる。そうなると「もの」は不足して社会全体はだんだん、どんどん貧しくなっていきます。それが私の想像です。

もちろん全員が全員ではないと思います。今でもお金のためだけに働いていない人も数多くおられると思います。ただ一つのシミュレーションとして「こういう傾向が出てくるのは覚悟しないといけないだろうな」というニュアンスで受け取っていただければいいかと思います。

ということは、お金が持っている特性の二つがうかびあがります。

 

●お金で「制御されるもの」と「促進されるもの」

一つは「お金が得られる」ということがあるので、社会全体の創意工夫や生産性の向上に役立っているということです。

もう一つは個々人の使えるお金に上限があるため、その社会で供給できるものの範囲内に消費がとどまる、ということです。むさぼれなくなるということです。

お金という物差しがあるので、欲しい人と売れるものの間の関係で、ちょうど在庫がなくなるような値段がついて、需給のバランスが取れるようになっているのですね。

復習になりますが、今世の中に出回っているお金というのは、どこかの企業が(住宅ローンなど個人のものもあるでしょうけど)借金した、融資を受けた時にいきなり世の中に数字として表れ、企業の支払いという形で世に出回り、多くの人の手を移動しながら、仕事を創り出し、物を移動させていきます。

つまり、未来の成功を架空の数字(金額)という形で限度を決めて、今の世の中で実在するお金という形で先取りする仕組みです。それで結果としてそのお金にかかわる形で寄ってたかって返済期限までに価値のあるものを創り出して帳尻を合わせる。お金というものがなければ、なかなかそこまで成長スピードを高めることはできないですね。実にいい仕組みです。

ところが、この考え方だけだと、お金儲けにつながる事ばかりが成長することになります。そこを考えることで国・政府・自治内などの「公」の役割が分かってきました。そこに災害対応などがつながってきます。

 

国の在り方が、すべての人が安心して生活できるようでなければ、整体も体育も成り立たないから、国と経済というものを考えざるを得ない、生活整体研究家

津田啓史