元気になる!を考える 3
【元気になる!を考える 3】
昨日の続きです。(下記文中の …続きを読む をclick!)
白ネギは青いところは食べませんから、これもかなり短めに見積もって白い食用の部分が20センチある、ということにします。すると、白ネギは20センチで100円ということになります。200ミリで100円ですから、2ミリで1円です。
白ネギのお尻の根っこのところは乾燥して食べられませんから切り落とします。すると、この時に「絶対に食べられない数ミリのぎりぎりのライン」を超えて余分に4ミリ切り落とすと2円分のネギが損なわれたことになり、また切り落とす上の頭の青い部分で4ミリ白い部分寄りに切ったとしたら、そこでも2円の「食用部分」の損失が出ます。
つまり、ネギの白い部分に向かって4ミリずつ余分に切ったら、その時点でレジ袋大きめぐらいの損失は出ている、ということです。ここをきちんとぎりぎりまで切るという人も多いでしょうけれども、ネギの末端処理数値は気にしないけれどもレジ袋はもったいない、という人も多いのではないかと思っているということです。
さらに献立のローテーションの都合でネギが使われずに古くなったとします。青い部分が黄色くなり、表面の皮が乾燥してしわしわで硬くなります。だからといって捨てません。皮をむきます。なかからみずみずしいネギが出てきます。
ただし、ネギの上の方の薄皮をむいたつもりでも、根っこに向かって皮が分厚くなり、けっこうな厚みで削ったことになることもあります。
この「古くなって乾燥したから、むいて捨てた部分」を「新鮮な時なら食べられた」という場合と比較すれば、削り取られた分量というのは、端から4ミリ切ったどころの話ではありません。レジ袋3枚4枚分の金額相当のネギが、食べられずに損なわれたことになりかねません。
もちろん、私のようにアバウトにネギは切らない、本当に食べられるところは余さず調理しますと言う方はたくさんおられるでしょうが、論点はそこではありません。上下8ミリのネギの「もったいない」よりも、レジ袋代を余分に出す方が圧倒的に「もったいない感じ」が増しませんかという話です。
食材の無駄は止めようというお話ではなくて、人は今までいらなかったお金を出すことを極端に嫌う人が多い、ということが言いたいのです。
いったい何の話をしているのかというと「消費税」の話です。
税金ではありませんが、同種の国や国の機関に支払う罰金とか反則金というのは「好ましくない行動をした罰として支払いを義務化しているお金」です。つまり、国が国民に課す支払いというものは、基本的に「ある行動を抑制する」効果を持つ、ということです。税金といったって、その心理的な効果は同様です。
事業経営している人だったら、利益がたくさん出たら法人税という罰金をより多く払わないといけません。だから税金で取られるぐらいだったら、ボーナスを少し増やそうとか、社用車を新しくしよう、とか新しい機械を買って生産効率を良くしようってなり、そのことで世の中にたくさんのお金が動き、かかわる人が豊かになります。
今のお金の仕組みだと、とにかくお金が動いて仕事を生み出して、それが活発化することで世の中が少しずつ豊かになっていくようになっています。
もちろん無駄なことや退廃的なことにお金を使おうということではなく、それこそ持続可能な社会を維持することを中心に経済が活発化すればいい。とにかく、お金が動かないと社会が壊死するような仕組みを採用しているのです。
とにかく国を何とかするには「お金を配れ」なんです。お金が欲しくて言っているんじゃないんです(ほしいのもあるけど)。お金が動いていくことで人は動ける、働けるんです。
人が動いて丈夫になっていくというのが整体なんです。お金が動いていくことで、仕事が生まれ、工場が維持され、農場が維持され、技術が革新されて、国が丈夫になっていくのです。(つづく)
個人の整体を考えるなら、国もまともにならないと無理だから、国やお金の問題も同時に「本来どういうものなのか」を考える生活整体研究家
進化体操と和の体育
津田啓史