悪いところは見えないが整おうとするところはわかる

【悪いところは見えないが整おうとするところはわかる】

野口先生は悪いところが見えるだけでなく、そういう人の歩き方しゃべり方などを追跡調査して、見えないものを見えるものの世界に引き出そうとされていた、そこがすごいと思うということの続きです。

背中がこんな風に丸くなってこわばり、首をこんな感じで突き出している人は呼吸器が弱いだろうとか、お尻をこんなふうに振っている人は腎臓がどうとか、そんなところまで共有できる情報群に落としていかれた。すると悪いところが黒く見える能力のない人でも、興味をもって観察を続ければ、野口先生と共通の土俵に立てるのです。

さらにそれを椎骨の転移(わかりやすくいえば一つひとつのゆがみ方の特徴)にまだ落とし込んで、胸椎の何番が飛び出していて何番がねじれている時は身体は何かに中毒しているとかという具合に、椎骨観察を丹念に練習して、そのレベルを上げていければ、野口先生が見たものを追いかけてはいけるという枠組みに持ち込まれたのが、まぁなんとも凄いと思います。(でも、それでもハードルはめちゃめちゃ高いのですけど)

自分だけの主観的な物の見方、特殊能力を、皆が共通して見ることができる客観的なものに変換することを怠らなくされていたところが凄まじくすごいなと思うのです。(何回も言いますが)

私は野口晴哉先生のように、人の悪いところが黒く見えたりはしません。ざっと25年ほど整体をしておりますが、やはり見えてくるようにはなりません。そういうのが見えるというのは、かなり天性の素質に頼るところが大きいのではないかと思います。

だからといって全く分からないわけでもありません。見えはしませんが、手の感覚で調べる事はしております。

悪いところを見つけようと思ったら、整体の「感じるモード全開」のスイッチを入れた状態で、なおかつ自分の波長を「萎える」「しおれる」みたいな状態にすると、同じ波長が共鳴して触れている部分がそういう「元気になるとは反対の方向だ」というのがわかるという感じです。

整体というのは、自分に備わっている能力を惜しみなく発揮して生きて生き切ろうよ、ということを呼びかけ、お手伝いする様々な技術・技法と生命哲学のことです。

野口先生は子どもの頃から人の悪いところが黒く見えたんでしょうから、その前半生で治療の名人として歩まれたのは必然だったでしょう。

ところが、私は黒いところ、悪いところは見えませんから、その能力をベースにして病気治療の名人になるという道は歩めません。

しかしながら、整体を学び始めた初期の段階で「これはめっちゃ強烈に整った状態だ」ということだけは身体で感じることができるようになりました。それは、今でも私の整体の柱になっている感覚です。(つづく)

生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史 拝